戦争を巡る呪縛と願望――『野火』と『ゲート』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/17

 太平洋戦争の敗戦(私たちはそれを「終戦」と呼んでいるが)から70年が経った。戦争について自ら記憶する世代は少なくなり、私たちは彼らが残した記録でのみ戦争を知る。だが、その記録は世代を経てなお強烈な印象を与え、一種の呪いとなって映画や小説、マンガ、アニメにまでその影響を及ぼし続けている。

 現在アニメも放送されている『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(柳内たくみ:著、黒獅子:イラスト/アルファポリス)もそんな作品の1つだ。突如銀座に現れた異世界への門、そこから侵略してきた敵を自衛隊が撃退し、逆に異界への侵攻を図る。ファンタジー世界の騎士やモンスターを近代兵器で蹂躙し、焦土作戦の「犠牲者」となった住民と交流しながら「彼の地」を攻略する様が淡々と描かれた本作。原作本は既に累計240万部を突破しているという。

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 本作の主人公は30代前半のオタク自衛官。コミック販売イベントに向かう途中で、異界からの侵攻に遭遇し、「皇居に避難民を誘導した」功績で昇進し、異世界での偵察任務に就くことになる。日本と異世界は異空間を繋ぐ「門」で繋がっており、自衛隊は常に補給を受けながら作戦を継続することができる。少ない物資で困難と向き合う「戦国自衛隊」とも対照的な設定だ。

 戦争の様相は補給次第で全く異なってくる。「ゲート」を読み進めるに従い、太平洋戦争末期、補給が受けられない日本兵を襲った飢餓の凄まじさ、とそこでの人間の尊厳の在り方を描いた大岡昇平の「野火」を思い起こさずにはいられない。フィリピン・レイテ島で米軍との遭遇を恐れながら、意識朦朧と彷徨い歩いたあげく、「自らを食べて良い」と言い残して(おそらくそれは幻聴ではなかったか)死んだ将校の死体を前に、悩む主人公の姿が生々しく描かれている。

今私の前にある屍体の死は、明らかに私のせいではない。狂人の心臓が
熱のため、自然にその機能を止めたにすぎない。そして彼の意識がすぎ
去ってしまえば、これは既に人間ではない。それは我々が普段何等良心
の呵責なく、採り殺している植物や動物と、変りもないはずである。
この物体は「食べてもいいよ」といった魂とは、別のものである


現在、塚本晋也監督による映画「『野火』 Fires on the Plain」も公開中だ。

 ゲートでは、異界の支配者が自衛隊の補給線を絶つべく焦土作戦を計画する。首都までの村を焼き、住民を盾に取ろうかという姿は、戦争末期の太平洋諸島や沖縄の姿とも重なる。そこに強力な武器と潤沢な物資を持って現れた自衛隊は、言わば救世主のような存在となるのだ。一方、資源が豊富な異界を巡って中国や米国とは政治的な駆け引きが展開される……。「馬鹿馬鹿しい」と読者は思うかも知れない。フィリピンで戦死した祖父を持つ筆者も、私たちにかの戦争によってかけられた「呪い」がこのようにあからさまに漂白された形で現れたことに正直驚く。

 だが、ネット投稿の小説として登場し、単行本化、アニメ化もされ多くの支持を集めているというのもまた事実だ。戦争の凄惨さが経験から伝聞、記憶となり、やがてそこから反転するような願望に転化しつつある――「ゲート」と「野火」が描く世界の落差は、そんな現実を私たちに突きつけているように思えてならない。

文=まつもとあつし