言葉で物事を割り切ろうとする文系は、理系よりはるかに理屈っぽい

社会

更新日:2015/9/1

 解剖学者・養老孟司氏の著書『バカの壁』や「『自分の』壁」に続く“壁シリーズ”の最新作は、『文系の壁~理系の対話で人間社会をとらえ直す~』(養老孟司/PHP研究所)。いわゆる理系の思考で、文系とされる問題を考えたらどうなるのか、養老氏が4人の理系のスペシャリストと対談している。

 文系と理系との違いを分析するところから始まり、それがどんな場面で問題になるのか、そして人間社会の在り方やビジネスはどうあるべきかと、その話題はあらゆる分野に広がっていく。

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 大切なことなので触れておくが、筆者は文系である。によって、文系の視点で本書のことを捉えてみた。

【理系の考え方~その1~】そっちから見るとそうなるのか(俺はいやだけど)

 養老氏によると、文系と理系の違いはしだいに不明瞭になりつつある。それに、そんなことを語り合ったところで、なんの実りも進歩もない。そもそも語るべき点はそこじゃない、ということが、本書を読み進める上で浮き彫りになってくる。

 しかし、気になると思う。文系と理系の明らかな違いとは一体なんなのか。分かりやすい例として、言葉の使い方が挙げられそうだ。文系と理系の会話が噛み合わない、という経験はないだろうか。これはもしかしたら、文系が理系に対して、知らぬ間に「言葉の壁」を作っているのかも。

 工学博士の森博嗣氏は次のように指摘している。

(仕事でミスがあったときに)理系の場合は、ミスの理由を詳しく分析して、再発を防ごうとするでしょう。~中略~(文系の人が)説明に対して「わからない」と言うから、もう一度丁寧に説明しようとすると、「いや、お前の言っていることはわからないから、もういい」と言うんですよ。

 つまり、この場合の文系の「わからない」は、正しくは「賛成できない」という意味。一方、理系の「わからない」は「説明が不足している」という意味。こうも言葉の使い方が違っては、両者の話が進まないわけだ。

 だいたい、文系は言葉で物事を割り切るから、理系よりもよほどデジタルだし、はるかに理屈っぽいというのが彼らの主張。おかげで、理系が「それは理屈では片づけられない」とできるだけ詳しく説得しようとしても口下手でうまく伝えられず、挙げ句の果てに「オタク」とまた言葉で処理されてしまう。散々である。

 理系の考えは物事の「前提」から成り立っている。「そもそも~」というやつだ。わかりやすく言うと、文系は理由が分からなくても、とりあえず「どうしようか」と考えるが、理系はまず「どうしてなのか? なぜなのか?」と考えたうえで、その先の傾向と対策を探っていく。

 そのため、理系同士の会話では、理論と理論をぶつけあうことになる。脳科学者の藤井直敬氏によると、相手の意見に賛成できないときは「わからない」ではなく「そっちから見るとそうなるのか(俺はいやだけど)」と答えるそうだ。つまり「君の言っていることはわかるよ。でも俺は別の意見を持っている」ということ。こうして比べると、駄々をこねる子供のような受け答えをする文系に対して、理系はなんと大人っぽく、生産性が高いことか(若干、一方通行な印象も受けるが)。

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