作家がみんな、読書好きとは限らない? 芥川龍之介から朝井リョウまで、偉大なる作家たちの本に対する想い

文芸・カルチャー

2015/9/3

 今年、著書『火花』(文藝春秋)で芥川賞をとったピース・又吉直樹。今やあらゆるメディアで引っ張りだこもいいところ。テレビ局の間では又吉の争奪戦になっているらしい。空前の又吉ブームである。

 そんな彼が無類の読書好きであることは以前から知られていた。テレビ朝日系列「アメトーーク!」の企画「読書芸人」の回で、又吉は本にのめり込んだ状態を、頭の位置が本を突き抜け、頭上でページをめくる続けるという独特のポーズで表現している。一見奇妙で意味不明な様子は会場を沸かせた。一方で、読書好きの視聴者は「わかる!わかる!」と非常に共感できたのではないかと思う。

 なるほど、もの書きってやっぱりそれだけ本が好きでやってるのね…と思いきや、『本なんて! 作家と本をめぐる52話』(芥川龍之介、朝井リョウ、浅田次郎ほか/キノブックス)によると、必ずしもそうではないようだ。本書は、芥川龍之介のような伝説的文豪から若き作家・朝井リョウまで、52人の作家たちの本に対する想いを綴るエッセイを集めた一冊である。

 本書に登場する作家の多くは、又吉と同様にやはり読書好きであることがわかる。又吉も敬愛する芥川龍之介については、そのエッセイ『田端日記』から8月27日から30日まで4日間の記録が引用される。例えば27日にはこんな風。

 一向ものを書く気にならない。そこで読みかけの本をよんだ。何だかへんな議論が綿々と書いてある。面倒臭くなったから、それもやめにして腹んばいになって、小説を読んだ

 という具合で、日々本を読み散らかしている印象。本が面白すぎてうっかり電車を乗り越すこともあれば、読んでもあくびばかり出る始末だったり。又吉もこんな調子なのだろうか(いや、彼は本業の芸人活動が先決問題か)。

 浅田次郎は「職業がら読み書きはむろん大好きであるけれども、しいてどちらかと自問すれば前者であろうと思う」とのたまう。執筆はたとえ締切前でも午後早い時間に切り上げ、その後1日4時間は読書に埋没するそうだ。いとうせいこうなどは、本が好き過ぎて、他人の本棚でも本が逆さになっていると頭に血がのぼるらしい。こんな行為は残酷極まりないと感じるという愛情の深さ。本を生き物と同等に捉えている。

 一方で、読書に対する不信をあらわにする人物もいるのだ。「本をよむくらいなら眠っている方がまし」といって憚らないのが鈴木清順。本は読むものではなく見るものであり、『源氏物語』も『雨月物語』も読まれるためでなはなく、見られるために書かれたのだという。本には美しい字が並んでいればそれで充分と主張する。確かに彼の本業は映画監督。その映像美は世界でも評価が高く、彼にとっては文章より見た目なのかもしれない。

 だが、伝奇小説や時代小説で名を馳せる山田風太郎も、読書などしている場合ではないと語っている。というのも、人生65年と考えたとき、1日に睡眠8時間、食事に計1時間半、大小便に15分という統計から計算すると、合計約37年間が生きていくために必要不可欠な時間であり、当時40歳の彼の場合残された有効時間は10年間だった。そこで、「ドクショなどに空費しちゃたいへんだ」と結論付けている。また、夏目漱石と親交が深かった随筆家・寺田寅彦は、大根のエメラルド色の双葉に惹かれ「私はもう本ばかり読むのはやめてしばらく大根でも作ってみようかと考えている」と、読書に背を向ける姿勢を見せている。

 もの書きといえども、その想いはさまざま。書くことを生業とするだけに、ただ読むばかりの私たちには理解できない複雑な気持ちもあるだろう。実は、それらが土台となって彼らの作品を支えているとも考えられる。作家たちの本に対する想いを知れば、これまでとは異なる本の深みを味わえるかもしれない。

文=林らいみ