ユニークな作風で人気の画家・山口晃、『鬼談百景』カバーイラストは収録作「透明猫」がモチーフ

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/17

 文庫版『鬼談百景』のカバー画を手がけたのは、日本画の伝統的手法を取り入れたユニークな作風で知られる人気画家・山口晃さんだ。「怖さの感覚に敏感でいたい」と語る山口さんは、『鬼談百景』の世界から何を感じ取り、どう表現したのか? 怪談、絵画、怖さについてたっぷりと語ったスペシャルインタビュー。


――最初にお聞きしたいのは『鬼談百景』をお読みになった感想です。小野不由美さんの作品には怖いものが多く、『鬼談百景』もかなりの恐怖度ですが、どうお感じになりましたか?

山口:お話をいただいてから本を開くまで、自分が怖いものを苦手だということをすっかり忘れていたんです。読んでいるうちに「そういえば僕は怖がりだった!」と思い出しまして(笑)。すでに何話も読んでしまった後だったので、大いに悔やみました。いい年をして恥ずかしいんですが、怖いものを見ると引きずって、夜中トイレに行けなくなるんですよ。

advertisement

――今回、描いていただいたのは収録作「透明猫」をモチーフにしたものです。中身が透ける奇妙な猫をお風呂場の窓から見かけた、というこのエピソードを選ばれたのはなぜでしょうか。

山口:これは実はカミさんのチョイスです。僕は当初、『鬼談百景』というタイトルから、おどろおどろしい本棚に100の物語が並んでいて、誰かがそこに手を伸ばしている……というような構図を考えていたんですが〝らしすぎて〟つまらない。広がりに欠けるなと思い直しました。それで気になるものを幾つかカミさんに読んで聞かせたら、「透明猫」がいいと。「透明な猫なんて面白いじゃない」というんです。確かにこれは、怖さにも、可笑しさにも、不条理さにも振れられる、幅のあるエピソードだなと感じました。

――なるほど。色々な味わい方ができる作品、ということで選ばれたのですね。

山口:怖がりなもので、個人的には「遺志」のようなハートウォーミング系の怪談を選んでしまいたくなるんです。でも、それはそれで読み方を狭めてしまいます。『鬼談百景』という作品の広さと深さを伝えるには、結果的にカミさんの選んでくれた「透明猫」がぴったりだったと思います。

――透明な猫の怪しいたたずまいが、水彩と鉛筆で見事に再現されていますね。タッチや画材はどのように決まっていったのでしょうか。

山口:これまでの小野さんの本のカバーは、割合はっきりした色合いのものが多いですよね。水彩画のぼんやり、じんわりした感じはあまりないと思ったので、これに決めました。自分にお話が来たということは、これまでと違うものを求められているのだろうなと。


――「透明猫」の本文には、猫の眼が「反射板のように光っている」という表現があります。こういう比喩は、絵にするのが難しいのではありませんか。

山口:「反射板のように」というのは猫の眼の感じをとてもよくとらえている比喩だと思います。これをそのまま、たとえば眼のところに穴が開いた猫として描くこともできますが、表紙なのでもっと凝縮した、ぎゅっと詰まった感じがほしい。それで宝石のように緑に光る眼として表現しました。青色だと深すぎるし、赤色だとおどろおどろしい。緑色がちょうどよかったと思います。

――カバーイラストを描かれる際には、本のカバーであることを意識して創作されるんですね。

山口:ええ。カバーは文字が載るのが前提ですから、ここに載せたらちょうどいい、という抜けた部分をどこか作るようにしています。日本画で画家がサインするのも、ここにもう一点何かあればという空白部分。なくても絵として成立しますが、あった方がより引きしまって見える、という感じで描くことが多いですね。文庫本と単行本ではサイズが違いますし、最近は必ず帯もつくので、そこもできるだけ意識しています。

――『鬼談百景』の解説を書かれた稲川淳二さんは、「怪談は〝許せる範囲〟の非常識であってほしい」と仰って、その実例として「透明猫」を挙げています。山口さんのも「透明猫」だったので驚きました。

山口:起承転結からはちょっと外れた、ほったらかしの感じがリアリティを醸し出しているんですよね。ラフカディオ・ハーンの『怪談』で僕がいちばん好きなのは、「茶碗の中」という短編なんです。えっ、これで終わりなの?という尻切れとんぼの短編なんですが、そこに妙なリアリティがある。「透明猫」をはじめとする『鬼談百景』の幾つかの作品からも、そういう感じを受けました。

――『鬼談百景』は読者から小野さんのもとに寄せられた、実体験談がもとになっているんです。

山口:そのせいか話のバリエーションが豊富ですよね。現代の学校の怪談だけじゃない。都会の乾いた感じがあるかと思えば、ファミリー層の話もあり、田舎の話、戦前の話もある。その飛びっぷりが気持ちいいんです。「甘いものは別腹」じゃないですけど、一作ごとにテイストが変わるのでどんどん先に進める。これ一冊を持っていれば、旅行先でもすごく楽しめますよね。僕は怖がりだから、一晩で全部読むのは無理ですけど(笑)。

山口晃さん

――お話をうかがっていると、山口さんは怪談や怖いものがすごくお好きな気がしてきました。

山口:ええ。怖いけど大好きなんです。辛いものは苦手だけど食べたいっていうのに似ています。宿泊先のホテルで怖い映画をやっていると、つい最後まで観てしまって、必ず後悔します。子どもの頃も、お昼の心霊写真の番組が好きで、怖いけど食い入るように見ちゃうんですよ。夜、二階の子ども部屋に行くのが怖いから、弟をそそのかして電気を点けに行かせていました。

――お化けは人間と違って、直接暴力を振るってきたりはしませんよね。それなのに、どうしてそんなに怖いのでしょう?

山口:怖がりすぎて、心臓が止まってしまう気がするんです(笑)。以前、かごの中の文鳥が猫に脅かされて、ショックで死んでいるのを見たことがあるんですよ。そうか、生き物って怖がり過ぎると死んじゃうんだと思って。自分もそうならないか不安なんです。

――実生活でこれまで怖い体験をなさったことはありますか?

山口:保育園の頃、寝室の豆球をつけたままで寝ていました。夜中にふと目を覚ますと、押入れのすき間から黒い毛のかたまりが、ざわざわとはみ出してきて、人間の頭くらいの大きさになる、っていうのを見たことがあります。母親がかつらを持っていたので、そのイメージが夢に出てきたのかなとも思うんですけど。

――聞いていると相当怖い体験ですが、当時怖いとは思わなかったのですか?

山口:あまり感じなかったですね。同じ頃、夜中に窓のガラス戸を誰かがガタガタと動かす音が聞こえて、窓の向こうにはっきり人の手が見えている、ということもありました。何だろう、と思ったところで記憶が途切れているので、これもやっぱり夢だと思います。

――それにしてはインパクトのある夢ですね。もしかして本当に怪異体験だったのでは?

山口:その当時住んでいた家が、古い木造家屋で、汲み取り式のトイレに行くには暗い廊下を通らなければならなかったんです。怖いから母親についてきてもらうんですが、寝ているところを起こされた母はすごく不機嫌でね(笑)。背中をどんどんつつくんです。あれは違う意味で怖い体験でした。

――子どもの頃、なぜかトイレが怖かったという人は多いと思います。子どもたちの恐怖に対する感覚は、やはり大人と違うのでしょうか?

山口:子どもは怖さと不思議を感じる天才だと思います。なんだか分からない出来事があったとしても、大人はそこを常識や知識でつなげてしまうんですね。「こういうことじゃないの?」とそれなりに説明してしまう。子どもはそれがないですから、不思議を不思議のまま味わえる。怪談っていうのは、それを表現したひとつの形なんじゃないかと思います。今でも悔やんでいるのは、子どもの頃、見世物小屋に連れて行ってもらったことがあるんです。「蛇女」という見世物が出ていたんですが、僕はその直前にたまたま、仕掛けを本で読んで知っていたんですよ。当時はタネを知っていることが得意でしたが、今にして思えば素直にびっくりできたらどんなにか幸せだったろうかと。きっと怖くて不思議で、一生の思い出になったと思うんですよ。


――藤森信照さんとの共著で『日本建築集中講義』(淡交社)も出されています。各地の建築を巡られた中で、ここは怖いというスポットはありましたか?

山口:お寺にせよ神社にせよ、どこか怖さと神々しさが表裏一体になっているところはあると思います。お寺の仏像なんて外国の方から見たら、腕や顔がたくさんあって恐ろしいと思うかもしれない(笑)。そんな中でも特に好きなのは、東大寺の三月堂です。寄棟造りと入母屋造りがつながった建物で、中に入ると薄暗いお堂に3メートル級の仏像が並んでいます。入った瞬間も怖いんですが、しばらく静かにしていると、ぞくぞくーっとまた違った怖さが込みあげてきます。

――それは怪談やホラー映画の怖さとは異なる感覚ですね。

山口:一度、子どもたちが社会科見学に来ているのに居合わせたんですけど、しばらく仏像を眺めてから「なんだかここ怖いね」ってひそひそ話していました。こちらの感覚が開いた時に、初めて流れこんでくる怖さを味わえる場所なんですね。ああいう感覚は非常に好きです。

――絵画でそういう感覚を味わわせてくれる作品はありますか?この絵が怖いという作品があれば教えてください。

山口:雪舟の『秋冬山水図』ですね。見るたびに心拍数があがる作品です。小ぶりな作品で、いつも20歩くらい離れたところから少しずつ近寄っていくんですが、それだけ離れていても絵が噛みついてくるのを感じます。

――ご著書の『ヘンな日本美術』(祥伝社)でも「吸い込まれそうな深さに無性に怖くなった」とお書きですが、どこがそんなに怖いのでしょうか。

山口:おそらくぼかし方に秘密があるんだと思います。水墨画はどれも墨でグラデーションをつけてぼかす、という手法を用いるんですが、『秋冬山水図』のぼかし方はなぜか心を揺さぶる。恐ろしいというか、神々しいというか、心胆寒からしめるような作品です。

――山口さんが目指しているのも、観る者に噛みつくような作品でしょうか。それとも別の種類の作品?

山口:どうすれば『秋冬山水図』の境地に行けるのかは考えますが、心を揺さぶろうと思って描いたりはしません。怖さにしても、美しさにしても、それは副次的に表現された時こそ、効果をあげるような気がするんですよ。副次的に、でも過たずに怖さや美しさを出したい。自分の着地点として、それはいつも意識しています。

――ユーモラスな表現の中にも、美しさや不思議さや不条理さが潜んでいる。そんな山口作品の多層性の秘密が、今日のお話で分かったような気がします。「怖さ」という感覚も、山口さんの作品にとって大切な要素なんですね。

山口:ええ。怖さがなければ身の危険を察知することもできませんし、人間にとって欠かせない感情ですよね。子どものようにはいきませんが、怖さへの敏感さはできるだけ失わないようにしたいと思っています。

取材・文=朝宮運河

>>『鬼談百景』特設サイト<<