江戸時代、女性はエロい方が愛された? ―江戸の女性史からみえる理想の女性像

社会

2015/9/17

 『女はいつからやさしくなくなったか 江戸の女性史』(中野節子)というタイトルを目にして、「昔の女性はもっと優しかったの? じゃあダンナのお小遣いも上げてあげるべき?」と思ったあなた。安心してください。江戸時代以前に理想とされた「やさしい」は「艶」という意味合いが強くあった。つまり、今風に言えば「エロやさしい」というところだろうか。

 本作は、江戸時代前期に書かれた「女性向けの教訓書」を主な参考資料として、「社会に求められた女性像」の変遷を追っている1冊だ。「エロやさしい」から「貞節」へ。そして現代の「家庭を守る主婦」に繋がる流れを、豊富な文献とともに解説している。

 そもそも「エロやさしい」とはどういうことなのか。

 著者は次のように述べる。

気高く、情が深く、女性性が豊かである、そしてさらにエロチックな側面をもっている。(中略)情が深いというのも、他人に共感できる能力に長けているということだが、女性の情が深いとは、異性から好きだと思われるとむげにはそれを拒絶せず、むしろ自分も相手を好きになるという共感性を含む。(中略)今では好色が反道徳的な響きをもつようになったが、近世の初めまでは、好色は肯定的に受け止められている。

 つまり、男の誘いをむげに断らない女ということだ。

 どうも男性にとって都合の良い女性のように思えるが、そうではないらしい。

 そこには現代の人が容易に想像できる「古き良き時代の女性像」――女は一人の男性だけを愛し、結婚するまで処女でいる――から、かけ離れた理想像が存在する。

 今では「ふしだらで、だらしない」というイメージの「好色」も、近世初期には「情事を楽しみ、恋愛の情趣をよく理解し、風流や風雅に理解がある心」として、ポジティブな意味合いにとられることが多かったそうだ。

 江戸時代の初めまでは、こういう女性が「やさしい」として愛された。では、いつからこの「やさしさ」が現代の感覚でいう「ふしだら」になっていったのか。

 それは江戸中期以降、庶民一般に広まった「儒教」の影響があると作者は述べている。
情事を楽しみ、芸能(和歌や三味線)をたしなみ、人の機微に敏感な女性から、「夫に対して貞節で倹約家」という、(男性からしたら)面白味のない女性が求められるようになっていったのは、儒教の教えが「女の役割は内治(ないじ)」という傾向を強く持っていたからだという。以降、女性の美徳は「家庭を守る」ことに変移していく。

 自分の女房が、生活に直接関係のない風流な習い事にお金をかけ、他人の男との情事を楽しむようになっては、とても「内治」は勤まらない。当時の男性は「エロやさしい女性」が好みだったが、それでは家の存続が危ぶまれる。故に「味気ない」と思いながらも、新しい女性像を拒絶するわけにはいかなかったのだろう。

 当時、そういった「貞節でつまらない女性」は地女(じおんな)と称されたそうだ。

 18世紀初頭より、「地女」という新しい女性像が誕生した背景には2つのポイントを挙げることができる。

(1)庶民の家が成立し、その家に嫁いだ妻として、家の存続に尽くすことが求められた。
⇒女性は家の仕事(内を治める)をするべき。
(2)女性が「貞節」であることが求められた。

 儒教の教えにより、このような思想が普及することで、「エロやさしい」が理想であり、そうなるべきだと教えられてきた女性たちが、「身持ちの堅いしっかり者の女房」になっていったのだ。

 この「地女」が更に進化したのが「主婦」であるという。

 現代では「男が外で働き、女は家を守る」というのが一般的な考えだと思うが、(いや、今やだいぶ古くさい考えかもしれないが)江戸初期以前はそうではなかった。女性の仕事の代名詞である「お料理」が、男性の仕事だった時代もあるほど、現代よりも「家事は女性の役割」という観念が乏しかった。

 それが江戸後期以降、料理や裁縫、掃除等の家事手伝いをはじめ、「夫が気持ちの良い家庭の雰囲気」を作るのまでも女性の役割として加えられるようになった。
そこには「情事と風流を楽しむ」近世初期以前の女性の姿は全く見られなくなったのである。

 やさしい女から地女へ。それから現代の主婦へと、女性が辿ってきた「こうあるべき」姿を、この一冊は分かりやすく説明してくれている。そして物事の価値観は一定せず、時代によって変わるものだということを教えてくれているように思う。

文=雨野裾