神聖かまってちゃんも絶賛!ホラーマンガの鬼才・呪みちるインタビュー | 夏のホラー部第8回

更新日:2015/10/5

芸人志望、ギャグマンガ、そしてホラーへ

――その後、ホラーマンガ創作の道に?
:そこでもまた紆余曲折があるんです。1980年代の後半にお笑いブームがやってきて、芸人志望の若者がよくテレビに出ていたんですよ。友達と「自分たちもやろう」ということになって、漫才のコンビを結成しました。その台本を文字で書いてもつまらないので、全部絵に起こしていたんです。それを見た友達が、面白いからペン入れしてどこかに応募してみろと言ってくれて。それが生まれて初めて描いたマンガでした。

――処女作は漫才の台本でしたか!
:マンガって4の倍数のページ数で仕上げるんです。そんな基本的なルールも知らないので、11ページという半端な枚数、しかも表紙もないという作品でした。『ヤングマガジン』の新人賞に応募したんですが、まったく音沙汰がない。まあ世の中そう甘くないよな、と思っていると一年後くらいに電話がかかってきたんです。ぼくは電話をもっていなかったので、友達の家にかかってきたんですけど、「あなたのマンガが入選しました」と。荷物が紛れてしまって、一年遅れで応募されていたらしいんです。

――初投稿作でいきなり入選したんですね。それはギャグマンガ?
:ギャグです。吉田戦車さんが人気絶頂の頃で、どこの雑誌でもギャグを描ける新人を探していたんですよ。その回はレベルが高かったみたいで、同時入賞した2人は有名なマンガ家になっています。お名前を言うと、ぼくのデビュー作がばれちゃうから言いませんけど(笑)。

――呪みちる名義の活動は1998年からですよね。ギャグからホラーに転向した理由は。
:大学中退後、しばらくアルバイト生活でぶらぶらしていたんですが、次第に将来の選択肢が狭まってきて。本気でマンガ家を目指すしかなくなって、あちこちにギャグの持ち込みを続けたんです。でもプロの世界は厳しくて、一回は載せてもらえても後が続かない。そんなある日、本屋でたまたま『恐怖の館DX』という分厚いホラー専門誌に出会ったんです。この世にホラーだけを集めた雑誌があるなんて思ってもみなかったので、かなり驚きました。あとで知ったんですが当時はホラーマンガブームで、専門誌が各社から出ていたんです。

――よく覚えてます。1990年代の後半ですよね。
:一度青年誌にギャグホラーを描いたことがあって、評判が最悪だったんです。それでホラー系は諦めていたんですが、専門誌なら受け入れてくれるだろう、と。それで持ち込んだのが、呪みちる名義の第一作「時計屋敷の少女」です。デビューまでずいぶん遠回りをしてしまいました。

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