モテないという逆境が作品を作る!? 肉声で語られた作家の言葉

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/18

 ピース・又吉直樹が、小説『火花』で芥川賞をとった。芸人として数々のテレビ番組に出演し人気を博している彼が、いったいどんなことを書いているのだろう…。そんな疑問から『火花』を手にとった人も少なくはないかもしれない。

 これは、小説の書き手としては珍しいことではないだろうか。一般的には、書いた本が人に読まれることによって、「著者はいったいどんな人物なんだろう」と興味を持たれることの方が多いはずだ。そして、「本のイメージ通りだった」「想定していた人物とは全然違った」などとなるのではないだろうか。

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 「著者の素顔が知りたい」。本に夢中になれば、誰しも思うことだろう。メディアが発達していない戦前に、そんな読者の思いに応えようとしたのが、文藝春秋社を設立し芥川賞・直木賞を創設した作家の菊池寛。彼は「地方講演部」を作り、地方からの注文に応じて作家を派遣し講演を行うことを企画した。大正12年に始まったこの講演会は、関東大震災や戦争の影響で消滅したり復活したり姿を変えたりしつつも、平成の世まで記念行事という形で開催されている。テレビやネットで簡単に作家の顔を拝める現在、残念ながら休止中のようだが…。

 この歴史ある講演会でも選りすぐりの名講演を一冊にまとめたのが、このほど発行された『心に灯がつく人生の話』(文藝春秋 編/文藝春秋)。司馬遼太郎、笹沢左保、池波正太郎など、そうそうたる人気作家たちの肉声が収録される。

 例えば、「菊池寛は醜男(ぶおとこ)だった。女にモテなかった」と、講演開始早々、大先生の悪口を言うのは、社会派推理小説の大家・松本清張。菊池寛は醜男な上に家庭が貧しく、学校に行くために苦労を重ねたという。そんな彼の文学は貧乏生活から得た人生経験によるリアリズムだとか。教科書もろくに買えず借りた本を暗記するほど人一倍大事に読むといった経験から、人情に触れると非常に感受性が強く働く。その形をうまく変えて小説にすることができたと語る。

 かくいう松本清張も菊池寛とよく似た境遇にあり親しみを覚えている。実際、彼は貧しい家庭で育った苦労人。また、失礼ながら残された写真を見る限りあまりいい男とは言えない。「あんまり人に好かれちゃいけないんです、小説家は。特に女にモテちゃいかんのです(笑)」と語る松本清張にも何かしらの劣等感と、辛い時代を乗り越えて作家として成功した誇りを感じる。

 同じく、戦争で大変な苦労を強いられたというのが、NHK大河ドラマの原作となった『天璋院篤姫』などで知られる宮尾登美子。終戦間際に満蒙開拓団の一員として家族で満州に渡り、難民収容所でたとえがたい最低の生活を1年間送ったという。生後半年の赤ん坊を抱え、育てようにも育てようがなく何度も子どもを売ろうと考えたとか。こうした経験からいろいろな女の生き方を書きたいと、女性を主人公にした作品の数々が生まれた。「これからの女性は、自分さえ責任を持てばいかようにも生きられる」と語る宮尾登美子は、上流の貴婦人のような女性らしく柔らかな話しぶり。昨年末に亡くなったばかりだが、宮尾登美子の生き方もまた物語になってもおかしくない。

 直木賞作家・江國香織の父親で随筆家の江國滋は、「私の話はほとんどためになりません」と前置きして講演を始める。講演のタイトルは「プロフェッショナルに学ぶ」。作家や噺家、さらには天皇陛下のプロフェッショナルぶりを面白おかしく話す。例えば、あるアナウンサーがスポーツのアジア大会の開会式を実況中継したとき、こう語ったという。

「さて、いよいよ日本選手団の入場であります。旗手が掲げる日章旗のあとに、選手団長以下全員、真紅のブラジャーに身を包み、ああ、堂々の入場であります」

 もちろん、「真紅のブラジャー」とは「真紅のブレザー」のこと。「普段ろくでもないことばかり考えているから、いざというときにそういう言葉が飛び出すんだ」と言い、会場の笑いを誘う。本書は当然のことながら講演内容が文章で書かれているので実際のところはわからないが、軽快な様子が想像できる。

 最近では、作家も文化人枠でメディアに露出する機会が多い。文藝春秋の講演会が立ち上げられた当初より作家と読者との間の距離が近くなっていることは確かだ。とはいえ、実際に本人を目の前にすれば、彼らの人柄をよりいっそう感じることができるはず。菊池寛が始めた講演会は、そんな作家たちが紡ぎ出す作品世界への理解を深めることにつながったのではないだろか。本をこよなく愛する読者としては、こうした機会が復活することを願ってやまないところだ。

文=林らいみ