「イエスタデイ! プリーズ!」留置場でポール・マッカートニーと出会った男の記録

文芸・カルチャー

2015/10/19

 1980年1月16日。世界的ミュージシャンであるポール・マッカートニーは、警視庁の留置場にいた。ビートルズ解散後に結成したバンド「ウイングス」の日本公演を控えたポールは、同日14時50分、リンダ夫人と4人の子供と共に来日した。しかし、成田空港の税関で大麻所持疑惑により逮捕。のちに、10日間の勾留を経て国外退去処分となった。

 ちょうど時期を同じくして、警視庁の留置場に1人の日本人男性がいた。ポールが逮捕された当日、警官から「あのポール・マッカートニーが警視庁に逮捕されて、留置場に入ってくるらしいぞ」と聞かされたのは、殺人罪で勾留されていた元極道・瀧島祐介である。

 今年で76歳になる瀧島は、著書『獄中で聴いたイエスタデイ』(鉄人社)で「あの時、ポールに会っていなかったら、俺はこうして更生の日々を送ることができたのか」と人生を振り返る。同書は、ポールとの偶然の出会いをきっかけに、ヤクザからカタギの道へ戻った瀧島の半生と決意を記録した自叙伝である。

 フィリピン・マニラの拳銃密輸事件にからみ、仲間を拳銃で殺害した瀧島は、ポールが留置場へ来るという話に耳を疑った。「ポール・マッカートニーって、あの元ビートルズの?」と返すと、警官はこう答えた。

「ポールがこの留置場に入ってくるのは事実だ。詳しいことは知らねえけど、これから俺たちは大忙しだ」

 瀧島とポールが初めて顔を合わせたのは逮捕の翌日、1月17日のことだった。勾留されていた警視庁の2階にある喫煙所では、何人かの被疑者たちがタバコを吸っていた。やがて、警官に連れられたポールが歩み寄ってきた時の様子を、瀧島は「一瞬にして話し声が止んだ。スターのオーラが静寂を伴って現れた」と述べている。

 目の前の大スターに「ポール! ハロー!」と話しかけた後、一瞬の静寂を挟みつつ、ポールも「ハロー!」と返した。もっと会話をしてみたい。しかし、「中学校もろくに出ていないため、『ハロー』『サンキュー』くらいの英語はしか話せない」と回想する瀧島は、喫煙所でたまたま居合わせた東大卒の過激派メンバー・藤波に「おい、アンタ。英語は喋れるか」と話しかけた。

 藤波の通訳により、瀧島とポールの会話は始まった。「何の罪でここに入って来たんだ?」。するとポールは、首をかしげつつ「マリファナ」と答えた。日本では大麻取締法により厳格に禁止されているものの、欧米では一部からマリファナが容認される風潮もある。そのためか、ポールが首をかしげた理由を瀧島は「むしろマリファナを悪いものとして扱う風潮に異議を唱えているふしがあった」と語る。

 その後も日が経つにつれて、顔を合わせればポールと会話する日々は続いた。そして、ポールが釈放された前日の1月24日19時頃。数メートル離れたポールの雑居房に向けて、瀧島は「ポール! イエスタデイ! プリーズ!」と叫んだ。

 「果たして、彼は歌ってくれるのか」。就寝前の自由時間だったものの、瀧島の元には「おいおいちょっと」と2人の警官が駆け寄ってきた。「バレてしまった以上、あきらめるしかないか…」と思った直後、ポールから「OK!」という答えが返ってきた。

 姿こそ見えないものの、床の板を手足で叩きながらポールはリズムを取り始めた。「そのリズムたるや、最高であった。ポールの透き通るような歌声が体に染み渡り、魂を揺さぶるようであった」と当時の感動を伝える瀧島。ポールの歌声が響き渡ると共に、先ほど駆け寄ってきた警官たちも、この時ばかりは何もとがめなかった。

 のちにポールは瀧島との思い出を週刊誌で語っていたという。事実は小説より奇なりとはすでに、さんざん手垢の付いた表現にも思える。しかし、誰かとの出会いはいつどのように生まれるのか分からず、瀧島とポールの出会いは、まさに“奇なり”と表現するほかない。「イエスタデイ」により人生の変わった男の半生を、その目で確かめてみてほしい。

文=カネコシュウヘイ