「無駄な時間」も大切! 大人だからこそ改めて読みたい「時間」の物語

文芸・カルチャー

更新日:2020/3/31

『モモ』(ミヒャエル・エンデ:作、大島かおり:訳/岩波書店)
『モモ』(ミヒャエル・エンデ:作、大島かおり:訳/岩波書店)

 雑誌や書籍、ネットなど、様々な場所で目にする「効率」「時短」という言葉。便利な家電や機器が次々に登場し、機械任せの仕事が増えているはずなのに、人は相変わらず忙しくしている。「時間がない」「そんな余裕はない」と、本当にやりたい事を諦めている人も多いだろう。そんな慌ただしい日常において、無駄をなくし、「効率よく仕事をする」ことは、たしかに大切なのかもしれない。

 だが、人間は機械ではない。有限で大切な時間だからこそ、行動には心が伴っているべきであり、幸せを実感する「余裕」は必要なのだ。人は余裕がなくなると、イライラしたり、誰かを思いやる心がどんどん削られていってしまう。想像力も乏しくなる。

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 そんな状態になってしまうと、今度は、のんびりすることに罪悪感を覚えたりもする。そんな時に、思い出してほしい本がある。名著として親しまれている、時間をテーマに描かれる壮大なファンタジー児童文学、『モモ』(ミヒャエル・エンデ:作、大島かおり:訳/岩波書店)だ。

 この本は、「もっと時間がほしい」と願う人間が、人の時間を奪って生きている灰色の男にそそのかされ、「無駄」を切り詰めてどんどんせかせかしていく話。そして主人公の女の子・モモがその異変に気づき、灰色の男から時間を取り返すために立ち向かう物語だ。

 モモには、親友が2人いる。無口な道路掃除夫のおじいさん・ベッポと、おしゃべりな観光案内の若者・ジジだ。3人はまったく違う性格だが、灰色の男の魔の手が忍び寄るまで、3人の時間はいつも生き生きと輝いていた。「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ」と話しているように、ベッポは忙しい時でもいつも目の前のことに真摯に向き合いながら生きている。こうすると、楽しくなってくるんだ、と。ジジも、夢見る空想家ではあるが、自分や自分の夢、信念をとても大事にしている。

 これは、現代人が忘れてしまっている、それでいてとても大切なことのように思う。本書にはこのような、自分を、そして時間を、本当の意味で大切にすることの重要性がいたるところにちりばめられている。

 そんな中でも一際記憶に残るのは、やはり「時間の花」のシーンだ。モモは、円形競技場に突然現れたカメ・カシオペイアに連れられ、時を司るマイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラ、通称マイスター・ホラのところを訪れた。その時、モモはホラに「時間の花」を見せてもらう。

 それは、丸天井の下、光に照らされながら時計の振り子に合わせて浮かび上がり、そして消えていく見たこともない美しい花だった。同じ花は1つとしてなく、新しい花が生まれるたびに、今までで一番美しく思えてくる。

 ホラはモモに、「(この場所は)おまえじしんの心のなかだ」と告げる。この時間の花は、1人1人の中にあり、生きている限り生み出され続ける。しかし、こんなに輝いていて、こんなに貴重なものに思えるのに、同じ花は二度と咲かない。

 このシーンを読んでいると、「時間」というものの儚さをしみじみと感じる。その一瞬一瞬の美しさに気づかず、幸せを感じずに生きるのは、あまりにもったいない。

 とはいえ、やりたいことが多い、やるべきことが多い現代人にとって、効率を考えて時間を節約することが欠かせないのも事実。だから私は、せかせかイライラしていると感じたら、この時間の花を思い出すようにしている。こんなに貴重な一時なのに、イライラしているのは、それこそもったいない話である。

 所詮児童書、所詮ファンタジー、なんて思わずに、慌ただしい大人こそ、この『モモ』を読み返して、少し立ち止まってみよう。

文=月乃雫