もし蛭子さんが孔子の「論語」を読んだら…? シュールな感想コメントが面白すぎる

暮らし

2015/11/11

 2014年8月に刊行した『ひとりぼっちを笑うな』(KADOKAWA)が14刷8万部を突破した蛭子能収さん(68)。過去、どんな漫画よりも活字本が売れてしまったという状況に困惑しながらも、最新作となる新書第2弾が発売された。今回のテーマはなんと「論語」だという。


 

 「ある日、『ひとりぼっちを笑うな』の編集者さんから、「蛭子さん、次は『論語』を読んでみませんか?」って連絡がきた。「えっ? ロンゴ? 何ですかね、それ?」。最初は意味もわからず、そう聞き返すだけ。よくよく聞いてみたところ、その編集者さん曰く、『ひとりぼっちを笑うな』に書かれている僕の考えは、古代中国の「老荘思想」に通じるものがあるのだとか。本当ですかね? 何かの間違いじゃないかな? それはいまだに半信半疑だし、そもそもよくわからない話なので、最初は断ろうと思っていたんです。だって、『論語』ですからね。その難しそうな名前だけで僕はアレルギー反応を起こしそうです」

 こう語りながらも、とにかく「人からのお願いを断るのが大の苦手」と語る蛭子さん。今回も受けてしまったことで苦労しながら『論語』を読んで、自分の考えをまとめたという。そんな蛭子さんの“論語”とは?

 そこで、新刊『蛭子の論語 自由に生きるためのヒント』の中から一節をご紹介。

 



【孔子の論語】

「吾少きとき賤し。故に鄙事に多能なり。」(子罕第九 六)
(編集部訳)少年時代貧しかった経験があったからこそ、今になって多くのことができるのだ。

 

【蛭子の論語】

 孔子さんも、少年時代は貧しかったんですね。貧しい経験があったからこそ、大人になってから何でもできたということです。僕にもそれは理解できる。

 だけど、僕の場合、その頃の話はほとんど他人にしたことありません。いわゆる下積み時代の“貧乏自慢”みたいな話を、自分からすることはしたくないんです。誰かに聞かれたら一応さわりくらいは教えますけど、貧乏というのは別に自慢することじゃないですから。金持ち話が自慢にならないと同じように、貧乏話だって自慢になりませんよ。

 それで思い出しましたけど、子どもの頃のことで、ひとつ印象に残っている出来事があるんです。ある年の瀬のことだったと思います。当時、隣に住んでいたひとり暮らしのお爺さんが僕の家にやってきて、「すいません、これを買ってくれませんか?」って、自分が着ているコートを売ろうとしたんですよ。でも、うちの父親は漁師でコートなんて着ないし、あまり趣味がいい代物でもなかったから、母親が「いや、いりません」って断ったんですよね。そしたら、その翌日、そのお爺さんが首つり自殺をしてしまったんですよ。

 その人は、お金が一銭もなくて本当に困り果てていたんでしょう。だったら、うちにきたときに、「もう明日のご飯を食べるお金もないので、ちょっと貸してもらえませんか?」って正直に言っていれば、うちの母親はきっとお金を貸したはずなんです。でも、そのお爺さんにも見栄があるから、正直に「お金がほしい」とは言えなかったのでしょう。そこで、お爺さんなりに、お金をもらうためには何か渡さなくてはいけないと考えて、それがあのコートだった。

 その出来事は、幼心にとても記憶に残っています。人間というのは、そこまで追い詰められても、見栄やプライドが邪魔して、開き直ることができないんだって。それで結局は死ぬことになってしまうなんて……絶対に嫌だ、と感じたのかもしれない。そう考えると、貧しい生活のなかで見てきたこと、感じてきたことというのは、思いの他、僕の人格に影響を及ぼしているのかもしれないな。

 


 

 孔子の言葉にも歯に衣着せず意見する蛭子さん。さすがです。飾りのない言葉から語られるエピソードは、思わず蛭子さんのマンガ絵で脳内再生され、大変シュールな味わい。

 『論語』をテーマにした名言(迷言?)が満載の本書を読めば、自由人・蛭子さんの枠にとらわれないものごとの捉え方がよく分かります。最近自分の生活が窮屈だな、と思っている方はぜひ手に取ってみてください!

蛭子の論語 自由に生きるためのヒント (角川新書)

蛭子の論語 自由に生きるためのヒント (角川新書)

蛭子 能収 / KADOKAWA

前著『ひとりぼっちを笑うな』が大きな反響を呼んだ蛭子能収。新作のテーマはなんと「論語」。孔子が残した言葉の数々を見て、蛭子は何を思い、語るのか。息が詰まるような現代で自由に生きるためのヒントが満載。