SF界の若き天才が最後の灯を燃やして描いた生と死の終着点

文芸・カルチャー

2015/11/11

『ハーモニー』(伊藤計劃/早川書房)
『ハーモニー』(伊藤計劃/早川書房)

 伊藤計劃氏は2007年にSF作家としてデビューし、2009年に肺癌によってその短い生涯を閉じている。享年34歳。わずか2年の作家生活であった。しかし、彼がSF界に残した足跡は決して小さなものではない。デビュー作である『虐殺器官』(伊藤計劃/早川書房)は発売されるやいなや世のSFファンの絶賛を浴び、その年のみならず、00年代最高のSF小説とも称された。その後、テレビゲームのノベライズ(単なるノベライズとは思えない完成度だが)『メタルギア・ソリッド・ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』(伊藤計劃/角川書店)の執筆を挟んで発表されたのが今回紹介する『ハーモニー』(伊藤計劃/早川書房)だ。本作は星雲賞及び日本SF大賞を受賞。さらに、アメリカのSF賞であるフィリップ・K・ディック記念賞特別賞を日本人で初めて受賞し、彼の名を世に広める作品となった。しかし、一連の朗報を著者自身が耳にすることはなく、2009年3月に帰らぬ人となったのである。

 そうした経緯が影響を及ぼしているのかどうかは分からないが、『ハーモニー』という作品には生と死の境界面で世界を俯瞰しているような壮大で儚げな雰囲気が満ちている。死に関する描写が多いというわけではない。単に人が死ぬというだけならば前作の『虐殺器官』の方が圧倒的に死体の数は多い。そういうことではなく、生きるとは何かと考えているうちに生と死が混沌となっていく。そんな感覚に襲われる作品なのだ。とはいえ、本作は思索の深みにはまった小難しい文学作品ではない。歯切れのよい文章で波瀾万丈の物語を活写した堂々たる娯楽小説だ。それでいていながら、そうした繊細な問題に深く切り込んでいっているのがこの作品の凄みなのである。

 本作で描かれているのはSF小説の古くからのテーマのひとつであるデストピアだ。デストピアとはユートピアの正反対の社会のことで、その多くは行き過ぎた管理体制がもたらす抑圧された社会として描かれている。市民の生活がカメラやマイクですべて監視されている『1984年』(ジョージ・オーウェル/早川書房)や思考力のない愚民を作りだすために本の所持が禁止されている『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ/早川書房)などはその代表的な作品だと言えるだろう。ただ、本書がそうした作品と違うのはその社会が権力者の支配欲ではなく、あくまで人間の善意によって作り出されているという点だ。

 21世紀後半に起こった〈大災禍〉と呼ばれる世界的核爆弾テロによって多くの同胞を失った人類はその反省のもと、慈愛に満ちた社会を作ろうとする。権力は一極集中しないように細分化され、共同体によって意思決定がなされる「生府」が誕生し、人々から悪徳は遠ざけられ、他者を思いやる心の大切さを説く教育が徹底された。さらに、全市民の体内にはWatchMeと呼ばれる医療分子が埋め込まれ、常に健康状態を監視しているので病気で亡くなる者もいない。一見理想的な社会だが、それでも自殺者の数は年々増え続けている。ヒロインのトァンも社会を覆う押し付けがましい優しさに息苦しさを感じ、自殺未遂を引き起こした経験のあるひとりだ。そして、同時刻に異なる場所にいた数千人の人々が一斉に自殺を図るという事件を境にして人類が作り出したユートピアの幻想は崩れ、物語は大きく動き出す。

 WHOの監察官であるトァンはその事件の謎を追うことになるが、その捜査の過程で流れる主旋律は生きるとは、生の充足とは何かという問いかけだった。事件の核心に迫る中で彼女の前にひとつの答えが提示される。それは美しくも悲しく、歓喜に満ちながらも恐怖に彩られた解答である。

 この作品は、ユートピアを目指せばデストピアに陥り、生を満喫しようとすれば死に至るという逆説に満ちた物語だ。著者はそうした矛盾の中で現時点でのひとつの結論に達した。それは読者の心をひどく揺さぶるものである。そして今は、その先を読む機会が永遠に失われたことが残念でならない。

文=HM