フランスで日本アニメがヒットした理由 ―歴史とともに振り返る

マンガ

公開日:2015/11/11

『水曜日のアニメが待ち遠しい』(トリスタン・ブルネ/誠文堂新光社)
『水曜日のアニメが待ち遠しい』(トリスタン・ブルネ/誠文堂新光社)

 フランスが欧州一の「オタク大国」であることは、日本でも広く知られている。1999年から毎年開催されている「ジャパンエキスポ」は今や、4日間で24万人を動員するビッグイベントに成長した。パリには「オタク通り」と呼ばれる一角があり、日本のアニメや特撮のフィギュアやマンガの専門店、コスプレショップまで並ぶ。

 しかし――である。なぜ日本のアニメは、フランスで人気爆発したのか? なぜ、フランスはオタク大国になったのだろうか?

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 『水曜日のアニメが待ち遠しい』(トリスタン・ブルネ/誠文堂新光社)に、フランスのオタク事情をうかがい知ることができる。著者のブルネ氏は、1976年フランス生まれの日本史学研究家にして、日本のアニメやサブカルチャーに造詣の深い「オタク」。『北斗の拳』をはじめ、日本のマンガ作品の翻訳家としても活躍する人物だ。

 ブルネ氏が生まれた1976年の日本といえば、南原コネクションが超電磁ロボを開発し、キャンディがアンソニー様に恋をし、マルコが三千里を旅していた年。日本生まれなら、昭和50年代のアニメ、ガンプラ、キン消し、ゲームウォッチ、ファミコンなどのブームを経て、立派なオタクに成長できる時代である。

 一方、当時のフランスのテレビ局は「国営放送」のみで、実質的には、国営第一放送(現・TF1)と国営第二放送(現・フランス2)の独占状態。将来の民営化を見据え、互いに熾烈な視聴率争いを繰り広げていた中、TF1が75年にキッズ向け番組『水曜日の訪問者』を開始した。学校が休みだった毎週水曜日の午後、13:30から約5時間も、教育的な内容やアメリカのアニメを流し、大いに視聴率を稼いだ。

 すると1978年7月、フランス2(ドゥ)は『レクレ・ア・ドゥ』で逆襲に出る。TF1との差別化を狙い、フランス2が投入したのが、日本のロボットアニメ『ゴルドラック』(邦題 『UFOロボ・グレンダイザー』)だ。その夏は雨がちで、子どもたちがテレビを見る機会が多かったという偶然も重なって、瞬く間に『ゴルドラック』は人気爆発。ピーク時には視聴率100%を叩き出したといわれている。TF1もすぐさま日本アニメに手を伸ばし、『アルプスの少女ハイジ』『科学忍者隊ガッチャマン』『キャプテン・フューチャー』といったラインナップで対抗していった。

 当時、フランス国内でのアニメ制作費は「1分間=約3万5000フラン(70万円)」で、日本からの輸入だと「1話=1万フラン(20万円)」。フランス製アニメ20分=1400万円の値段で、日本の作品が70本も買えるのだから、吹替や字幕の費用を上乗せしても、そのコストパフォーマンスの良さは破格だ。人気のみならず、「安さ」も日本アニメの大量投入を加速させた。

 熾烈な視聴率争いの「安牌」となった日本アニメは、80年代のテレビ民営化を経て、拡大し続けた。ジャンルも、SFだけではなく、『きまぐれオレンジロード』や『ハイスクール奇面組』といった「学園もの」や「恋愛もの」にまで広がり、ブルネ少年は「踏切の音」を幼少の記憶に刻み、フランスの少年少女たちは日本をより親しいものと感じるようになった。

 だが、若年層を中心に広がり続ける日本文化を、フランスの独自性の危機だと捉える人々も存在した。80年代後半から90年代にかけて起こったフランスのジャパンバッシングの中で、反日の槍玉に挙げられた日本アニメは、「暴力シーンが多い」「質が低い」などの理由で、戦闘シーンの削除や放送中止に追い込まれた。

 果てには、国会議員が著書で日本の特撮ヒーロー『超電子バイオマン』を取り上げ、「敵を倒す=殺すこと」が幼児教育に悪影響があると槍玉に挙げた。さらに、宮崎勤事件を引き合いに出し、あたかも「アニメを見ていると犯罪者になる」と言わんばかりの暴論を展開した。

 アニメと犯罪の因果関係を論じることの無意味さや愚かさは語るまでもないが、結果として、フランスでの日本アニメブームは収束し、テレビから消えた。

 ところが、その「消失」は逆にフランスの若年層に「日本の存在」が自分たちの中にあることを認識させてしまった。「テレビが流さないなら、自分たちで手に入れる」と、ファン同士がネットワークを作り、独自に日本アニメを輸入する専門店や出版社が現れた。93年に出版された『ドラゴンボール』を機に「日本マンガブーム」が起こり、ゲーム雑誌で紹介される日本の最新アニメ情報なども相まって、ファンの内なるアニメ愛を再燃させる要因となったのである。

 こうして、フランスのファンにとってアニメは「買って見るもの」となり、それは「受け身」だったファンを「積極的な消費者」に変え、同時に「作品を見極める厳しい目」を育てた。積極的なファンは、リアルなつながりを求め、部屋を出た。ファンイベントが各地で開催されるようになり、日本からクリエイターを招待してトークショーが行われたり、コスプレが普及したりと、フランスのオタク文化は息を吹き返し、ついには1999年の「ジャパンエキスポ」開催へとつながっていく。

 この一連の流れを見ていると、日本のアニメファンがコミケを立ち上げ「ファンジン」を売り、トミノコ族としてコスプレをし、ヤマトやイデオンの劇場版に徹夜で行列を作った、アニメブームの黎明期を思い出す。

 それにしても。ここまで熱狂的にフランスのオタクを引きつけたものは何なのか? 原体験では済まない理由があるはずだ。ブルネ氏は、こう分析する。「日本のアニメの大きな特徴は“共感”をベースにしている。そこでは、悪党さえも人間的に友人になり得たかもしれない人物として描かれる。僕が使う“親しみ”“共感”は、人間として認め合うことを基礎にした巻き込まれを指しています」と。

 “個人の権利”を尊重するフランスの国民性。その一方で、移民問題や差別意識が問題視されていた当時のフランス社会。けれど、子どもたちは人種や権利の垣根を越えて「国籍不明だけどなんだか異質で、でも優しい日本のアニメ」という共通言語を持った。それが、フランスオタク文化の礎を築いたのだろう。

 だが、ブルネ氏は、フランスの「ジャパンエキスポ」の質が変化していることに、小さな危機感を抱いている。「日本のアニメに共感して、交流した人」の集いとして生まれた「ジャパンエキスポ」は、今や「クールな日本のサブカルチャーを消費する人」たちのイベントと化している――と。そして、フランスにおけるアニメやマンガなどのサブカルチャーの未来も決して明るいとは限らないと、警鐘を鳴らしているが、続きは本書で読んでいただきたい。

 フランスのアニメブームが始まった1978年の水曜日。子どもたちがテレビの前に釘付けになった水曜日。何も知らない日本の若者たちは、いや――私は、その数年後、同じ水曜日にテレビの前で拳を突き上げていた。「週の真ん中水曜日、まんなかもっこり、夕やけニャンニャン!」と。フランスで広がったのが、アニメで良かった。

文=水陶マコト