白の姫路城と黒の松本城の歴史に迫る―なぜ色が違う?

文芸・カルチャー

2015/11/30


『歴史を訪ねる 城の見方・楽しみ方』(小和田哲男/池田書店)

 そこにあるのは、今に残る歴史の跡か、はたまた戦国武将達の熱いドラマか……。昔日の姿を私達に教えてくれる全国のお城には、どのような歴史があって、またどのような人が建てたのか? そんな疑問に答えるのが『歴史を訪ねる 城の見方・楽しみ方』(小和田哲男/池田書店)です。この本では、お城に関する豆知識をはじめ、全国のお城の歴史・特徴と簡単なアクセスが紹介されています。

 現在では観光スポットとして有名になっている各地のお城……戦国時代には、これらのお城は全国に約3万から5万はあったといわれます。しかし、現代にいたるまで天守閣が残っているお城は、実はたったの12しかないのです(天守閣が消滅しつつも、一部の建造物が残っているお城は結構あります)。こうなった理由は、1615年に江戸幕府が発令した「一国一城令」の影響も大きいですが(これにより、全国に数万あったお城が、一気に170まで減りました)、大幅に減少したのは1863年のの事です。この頃に、維持費が払えない、木材としての利用価値があるという理由から、大半のお城が撤去される事となってしまいました。現代の人……それも歴史好き・お城好きの人からすれば「なんてもったいない事を!」と言いたくなる行為ですが、その裏には、財政難という切実な問題がありました。中には撤去費用すらなく放置されたお城(姫路城など)さえあった事からも、当時の人達がどれだけお金に困っていたかがうかがえます。ちなみに、お城に対し文化的価値を認めた地元の有力者の尽力により保存されたお城(松本城など)もあり、これに関しては「グッジョブ!」と言いたくなる人も多いと思います。

「現代にいたるまで天守閣が残っている」12のお城は、姫路城・松本城・彦根城・犬山城・弘前城・丸岡城・備中松山城・松江城・丸亀城・伊予松山城・宇和島城・高知城、です。中でも、姫路城は国宝と世界遺産に登録されているので、まさに「日本のお城」の代名詞と言えるしょう。

 姫路城は、別名を白鷺城といいます。その原型ともいえる姫山の砦は、1333年に赤松氏によって築かれ、その後1580~1601年の戦国末期に、池田輝政が大改修を行った事で、現在の姫路城の形となります。西国の諸国大名を抑える為の拠点として重要視されていたので、今に残るほどの大きな城郭となったのです。現在残っているのは、大小天守4棟と渡櫓4棟の計8棟、他に重要文化財の櫓16棟・渡櫓11棟・門15棟・塀32棟……と、合計82の建造物が現存しており、これらは江戸期の姿をそのまま留めています。外見的な造形美もさる事ながら、ここに暮らした徳川秀忠の娘・千姫にゆかりある西の丸や、かの有名な播州皿屋敷伝説を残すお菊井戸など、隠れた見所がたくさんあります。

 地元有力者の尽力によって、明治初期の財政難を生き抜いた数少ないお城が松本城です。黒い輝きを放つ大天守と小天守の佇まいから、烏城(からすじょう)の別名もあるこのお城は、実は最初から松本城だったわけではありません。前の名を深志城といい、1504~1520年に小笠原氏によって築城されたのが始まりとされます。松本城の名に変わったのは、1593年に小笠原氏がこれを大改築した際の事です。この大改築の際に、石川数正・康長親子により天守閣などが造られました。ちなみに、この石川数正という人物は、実は元々徳川家康の家臣でした。つまり、この松本城を「すぐれたお城」として築く事は、秀吉に対する数正の忠誠心アピールでもあったのです。この大改築は、豊臣秀吉が「徳川家康包囲網」の1つとして行ったものですから、数正にとってはまさに絶好のアピールチャンスだった事でしょう。

 現在の松本城の形が出来上がるのは、これからまだもう少し後の話になります。それは、大改築から大きく時を下って1663年の事、(家康の次男である)結城秀康の三男・松平直政が、月見櫓・辰巳付櫓などを増築し、今に残る松本城の形ができました。1500年代初頭に小笠原氏によって築城され、同年代末期に徳川家康包囲網として大改築を施された城が、最終的には徳川家の子孫の手によって現在の形になったのだと思うと、少し不思議な気分になりますね。

 大天守5階の階段、(復元された)黒門と太鼓門、天守脇に残る船着き場など、歴史を感じさせてくれる見所がたくさんありますが、松本城最大の見所は、やはり天守閣の造形美でしょう。絵画にもたとえられるその様は、なるほど明治時代に有力者が文化的価値を認め、後世に残そうとしたことも納得です。

 さて、今回紹介した姫路城と松本城……実は、この2つのお城には面白い対比があることにお気づきでしょうか? それは、色です。姫路城は、白鷺城とも呼ばれる事からわかる通り「白い城」である事に対し、松本城は別名「烏城」と呼ばれるほどに「黒い城」です。これらの色は、実は築城の際、徳川家康と豊臣秀吉のどちらが関わったかで決まっているのです。他のお城を見てみても、家康の息がかかったお城は白い城(宇和島城など)、秀吉の息がかかった城は黒いお城(大坂城など)となっています。ちなみに、大阪城は、現在はそうでもないですが、戦国当時は金箔の瓦と黒漆の壁で造られたお城だったとされます。これは、言ってしまえば家康と秀吉の趣味の違いが顕著に反映された結果なのです。

 姫路城が良い例ですが、白いお城というのは、見る者に優美さを感じさせます。家康が関わったお城が白い理由は、そんな優美さを持った白亜の城を好んだからといわれます。

 一方で、秀吉が黒を好んだ理由は、ずばり「金が映える色」だからなのです。大坂城は秀吉ゆかりのお城であり、またその金箔瓦はよく知られています。このお城は、黒に金が映えている良い例と言えるでしょう。

 いかがでしょうか。お城の色1つとっても、このような理由があり、時には武将の嗜好までもが見えてくるのです。あちらのお城やこちらのお城に残る、それぞれの歴史ドラマを知ると、お城を見るのがもっと楽しくなるかもしれませんね。

文=柚兎