企業の不祥事「情報隠し」はなぜ起きるのか ―社会科学からの考察

業界・企業

公開日:2015/12/11


『「日本人」という、うそ』(山岸俊男/筑摩書房)

 またしても企業の偽装問題が注目された。横浜市のマンションに端を発した杭打ちデータ改ざん事件など、業界を問わず、消費者からの疑心暗鬼はいつの時代になってもつきまとう問題である。

 いったいなぜ、企業はウソをつくのだろう。その問いかけに、社会科学の見地から意見を投げかける1冊がある。『「日本人」という、うそ』(筑摩書房)である。2008年刊行の書籍を改題したものだが、ちょうどこの時期に文庫化されたというのは、妙な整合性を感じずにはいられない。

不信の連鎖が続くまま「信頼社会」へと切り替わりつつある昨今

 前段として、日本は「信頼社会」へ変わりつつあると主張するのは、著者の山岸俊男さんである。大きな節目として取り上げられるのは、小泉政権下で行われた構造改革による資本のグローバル化だ。

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 年功序列や終身雇用制などがめだったかつての集団主義的な社会では、社会の仕組みそのものが人々に「安心」を与える「安心社会」だったと山岸さんは述べる。しかし、逆説的にいえば、かつての社会は「その中に暮らしているかぎりは、相手が信頼できる相手かどうかを考える必要もなかった」と言い換えられるという。

 一方、自由競争が当たり前となりつつある昨今では、企業も個人も他者との「信頼」を築く必要性が求められるようになった。ただ、元々の集団主義的な社会では例えば、自分は「正直者である」「約束を守る」といった観念を十分に育てることができず、結果として「不信の連鎖」が生まれていると山岸さんは主張する。

不信の連鎖がますます「情報隠し」を生み出す

 不信の連鎖が続く中、ではなぜ、企業の不祥事がおさまらないのだろう。そもそも企業のスキャンダル自体は「昔からあった話」と語る山岸さん。ただ、信頼が強く求められるようになってからは、消費者やマスコミの姿勢が変わってきたと指摘する。

 かつての社会では、企業の不祥事が発覚しても、謝罪をして対策を施せば許されたと山岸さんは回想する。しかし、昨今は責任者の逮捕や退陣、果ては倒産という結果をみせなければ済まなくなったと近況を分析する。加えて、「消費者意識の高まり」「安全に対する意識の向上」を認めつつも、先のような叱責や批判の姿勢が、必ずしも「情報隠し」をなくす方向につながっているのかと疑問を投げかける。

 この問いかけからみえてくるのは、企業の抱く恐怖感である。情報隠しが起きる理由を「正直に公開したとしても、世間から『正直な組織だ』と積極的な評価をしてもらえるとは期待できないから」だと、山岸さんは語る。そして、消費者やマスコミ、企業の間にはさらなる疑心暗鬼が生まれ、不信の連鎖がますます拡大することになるという。

 不正や不祥事はもちろん断罪されるべきである。しかし、過度に相手を追い込み、執拗に責任を追求するのが“正義”かといえば疑問をぬぐえない。山岸さんの指摘からは、企業と消費者の関係性だけではなく、いわゆる“バカッター問題”でみられるような、現代の風潮への異議も感じてしまう。

 正解のない問いかけであるものの、現代に生きる私達が、それぞれの結論を考えるべき問題のようにも思える。

文=カネコシュウヘイ