美しき軍師はなぜ下剋上をしなくてはならなかったのか―陶隆房の凄絶な生涯を追う長篇小説『悪名残すとも』刊行

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/16

 戦国時代、その美貌から幼少期には大内義隆に可愛がられ、その後彼の重臣となり、一万の軍を率いた若き軍師・陶隆房(すえたかふさ)。彼の知られざる凄絶な人生を語った長篇『悪名残すとも』が、2015年12月25日(金)に発売される。著者は、「第5回小説現代長編新人賞奨励賞」を受賞し、葉室麟・伊東潤など著名作家との競作長篇『決戦! 関ヶ原』にも参加した、歴史小説家の吉川永青。吉川からのコメントを紹介しよう。

如何に偉大な人物でも、人には覆せないものがある。陶隆房の生涯を見ていると、そう思えてなりません。今の世の中、何かこう、人間が万能だと奢りすぎているような気がしまして、そういうところに抱いた疑問が『悪名残すとも』の出発点です。吉川永青

 その他各方面からも絶賛のコメントが続々と上がっている。

なぜ下剋上をしなければならなかったのか。美しき武将陶隆房の凄絶な生き様が見事です。葉室麟(作家)

遂に出た!これが吉川永青の最も熱い小説だ!!縄田一男(文芸評論家)

 また、担当編集は「歴史的に見て、敗者とされてきた陶隆房が主人公の小説はいままでほとんどなく、大変珍しい」とも語る。装画は小説の挿絵やゲームのキャラクターデザインなど、数々の実績を持つイラストレーターの小島文美が担当。若き軍師「陶隆房」の知られざる真実とは? 毛利元就と戦った男はどのような人物だったのか? 渾身の歴史長篇がここに完成した。

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■『悪名残すとも
著:吉川永青
装画:小島文美
装丁:大原由衣
価格:1,900円(+税)
発売日:2015年12月25日(金)
発行:KADOKAWA
※ネット書店での予約開始済み

天文九年(1540年)の師走。毛利元就の居城、郡山城に尼子軍の怒濤の侵攻が押し寄せようとした時、一万の兵を率いた援軍が現れた。まだ二十歳の美しき軍師の名は、陶隆房。大内義隆の重臣にして、援軍の大将を務める男だった。見事な戦略により尼子軍の侵攻を打ち破った隆房は、毛利元就の戦友として、親交を深めていくのだが、隆房の真の敵は、外部だけではなかった。翌年、出雲に侵攻した隆房の軍は、内部の統制も取れずに敗走を余儀なくされる。大内氏内部での文治派の台頭、主君・大内義隆の戦離れにより、武断派の隆房は追い詰められることに。さらに大内義隆の文化への傾倒と浪費は、天役(臨時徴税)を連発することになり、領民を苦しめていくのだった。迫り来る隣国の侵攻、疲弊する大内氏を立て直すため、隆房はついに決断を下す。

<陶隆房について>
陶隆房は、晩年に名前を陶晴賢(すえはるかた)と改名します。その後、毛利元就と雌雄を決した厳島の戦では晴賢と名乗っていましたので、そちらの名前が一般的に知られるようになります。陶隆房の辞世の句「何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に」を初めて目にした時に受けた衝撃がこの企画の出発点でした。彼は本当に悪人だったのか。その答えが本書にぎっしり詰まっています。担当編集

吉川永青(よしかわ・ながはる)
1968年東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年「我が糸は誰を操る」で第5回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞。同作は、『戯史三國志 我が糸は誰を操る』と改題し、2011年に刊行。三國志ファンのみならず、幅広い評価を得る。同年には第2弾『戯史三國志 我が槍は覇道の翼』を刊行、2012年、第33回吉川英治文学新人賞候補に。2015年、『誉れの赤』で第36回吉川英治文学新人賞候補となる。7人の作家による“競作長篇”『決戦! 関ヶ原』にも参加している。他に、『戯史三國志 我が土は何を育む』、『時限の幻』、『義仲これにあり』、『義経いづこにありや』、『天下、なんぼや。』などがある。