“世界のトヨタ”の暗い過去…ルポルタージュの名作を通して考える、「働く」ということ

経済

公開日:2015/12/28


『新装増補版 自動車絶望工場』(鎌田 慧/講談社)

 近年の「ブラック企業」問題に関連してマスコミ等で取り上げられる機会が増えた本に、小林多喜二の『蟹工船』があります。オホーツク海のカムチャツカ沖で水揚げした蟹を、船上で直ちに缶詰に加工するという、過酷な労働の現場を描いた名著。発行から90年近く経った今も、プロレタリア文学の金字塔として知られています。しっかり読んだことはないけれど、名前だけは聞いたことがある、テスト勉強の為に覚えた記憶がある…という方も、少なくないでしょう。

 劣悪な労働環境の代名詞ともなっている『蟹工船』ですが、これと同様に、絶望のど真ん中に立たされるような仕事場ついて記した書籍があることをご存じでしょうか。それが、『新装増補版 自動車絶望工場』(鎌田 慧/講談社)です。実はこの本、社会学の世界では知られた、ルポルタージュの名作。大学や短大の社会系学部では、テキストとして採用されることもあるようです。

 著者である鎌田氏は、新聞・雑誌記者を経てフリーとなったジャーナリスト。1972年、彼は季節工(今で言う期間従業員)としてトヨタ自動車に入社し、自動車製造の現場で半年間仕事をしながら、その過酷な業務や職場環境を観察しました。期間満了までの半年間、体のあちこちを壊しながら激務に耐えた鎌田氏。慣れたと思えば増えるノルマに、会社の言いなり状態の労働組合など、同社の内側をつまびらかに語っています。

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 同書の中で鎌田氏は、共に働く仲間や上司たちの放った言葉を、詳細に記録しています。そしてそれらの会話からは、今で言うブラック企業のニオイが、ぷんぷんと漂っているのです。一例を取りあげてみますと…。

「会社もよく考えとるよ。寝る時間以外はコキ使っていれば、“悪い事”も考えられんし、実際、何もできん。」

季節工は本工を「こんな仕事よくやるな」と軽蔑し、本工は季節工を「出稼ぎ」者として軽蔑しているのだ。

 殺さない程度に飼い続ける、従業員間が団結しないよう分断する…この辺りはまさに、ブラック企業の常套手段と言えるでしょう。海外戦略を拡大し、大幅な増産を目指していた当時のトヨタが、多くの自動車と共に、労働者たちの無限の絶望をも生み出していたことがうかがえます。

 ところで、私自身がそうなのですが、義務教育期間を愛知県内で過ごした人は、トヨタという企業について、勤勉さや成功の象徴といったイメージを抱いていないでしょうか。これは同社の様々な要素が、このエリアの公立学校における授業のなかで触れられていることにも起因するのかもしれません。「流れ作業」や「かんばん方式」といった言葉を小学校社会科の副読本で覚え、同社の創業者である豊田佐吉氏は、母親思いの孝行息子として、道徳教材にも登場しました。遠足や校外学習でトヨタの工場や博物館を訪れた(そしてお土産に、プラスチック製の車のおもちゃを貰う)という方もいらっしゃることでしょう。

 学校の授業にも登場した一流企業の内幕としては、本当に、信じがたい記述の数々。嘘であってほしいと思いながらも、それが確かにこの地で起こったことであると裏付ける描写も、同書には溢れているのです。

「えらいえらいは、とてもきつい、の三河言葉。」
「トヨタの暦はシャバの暦とちがう、とだれかが教えてくれた。」

 加速することはあっても、決して緩やかにはならないラインの仕事に、「えらい」と悲鳴を上げる体。そして、地元には知らない者のいない、「トヨタカレンダー」の存在…。モノづくりのまち・愛知に暮らす者にとって、これらはあまりにも生々しい言葉なのです。

 同書が初めて世に出たのは、1973年のこと。それから40年余り経った今、「世界のトヨタ」の内側は、果たしてどのような状況にあるのでしょうか。安全を運ぶはずの自動車製造の現場で、今なお苦役が展開されていないことを、願うばかりです。

文=神田はるよ