90年代を斬った伝説的コラムニスト・ナンシー関をご存じですか?

文芸・カルチャー

2016/2/4


『何の因果で(角川文庫)』(ナンシー関/KADOKAWA)

辛酸なめ子に能町みね子、犬山紙子にマツコ・デラックス…。どんな世にも「当代随一」と言われるコラムニストはいますけれど、今はまさに戦国時代。彼女たちは日常に生まれる小さなひずみを、シニカルかつ的確に分析してくれます。その類まれなる観察眼を通して見える風景を、雑誌連載等で楽しんでいる方も少なくないでしょう。

そんなあなたにお尋ねしたい。過去に一世を風靡したコラムニスト・ナンシー関をご存じでしょうか。執筆活動のほか、消しゴム版画によるイラストでも知られた彼女。作品を目にすれば、見たことがあると感じる方もいらっしゃることでしょう。

ふくよかな体に、黒縁眼鏡の奥の優しい瞳。いかにも穏やかそうに見える人物ですが、しかし、連ねる言葉は切れ味抜群。地獄の底で待ち構える鬼の刃のように、世の諸々をばっさばっさと斬ってきました。著書『何の因果で(角川文庫)』(ナンシー関/KADOKAWA)では、有名人へのツッコミから、巷のブームに関する疑問、自らの出す「恥ずかしいゴミ」への過剰な心配まで、彼女の日々に生まれた疑問や嘆きの数々が綴られています。

例えば、テレビ番組でよく使われる、不思議なフレーズについて。多くの人がどこか違和感を持ちながらも、はっきりと言語化するには至っていない現象を、彼女はストンと言葉に落とし込んでいます。

同じように意味が消えているがゆえに、延々と使われている言い回しに「また番組に遊びに来てくださいね」がある。正規の出演依頼と承諾によって発生した「仕事」の遂行のため来ているのを「遊びに来た」と言い換える理不尽であるが、もう誰も何も言わない。そのセリフに意味など読まないことになっているからである。「こんな番組、遊んでるようなもんですから」という謙遜に見せかけた、実はとんでもない開き直り。「ワシらはオマエさんらの遊んどるとこ見せられとんのかい」という当然のツッコミも不毛である。

「15日未明、新宿区新宿のアパートの一室で、両手両足をロープで縛られたうえ、全身をナイフのようなものでメッタ刺しにされた男の人の死体が発見されました」というような状況説明のあとの「警察では殺人事件とみて捜査をしています」という締めに「当り前じゃ、そんなもの90のじいさんでも殺人事件とみるわ」と、私はいつも思う。

こんな調子です。ちなみに、このコラムの初出は1994年の6月。ですから、日本のテレビ番組は少なくとも20年以上にわたり、こんな不思議な表現を使い続けていることになりますね…。

言葉を選べば「デリケート」。でも、言い方を変えれば「気にしすぎ」。画面の向こうで繰り広げられる諸々も、生活上の些細なできごとも、著者にとっては擦り傷のように、ひりひりと滲みるものだったのかもしれません。鋭い指摘も痛烈な皮肉も、粘膜剥き出しみたいな多感さで生きていたからこそ、紡げる言葉たちだったのでしょう。だけど、その繊細さ故に魂をすり減らし、若くしてこの世を離れることになったのだとしたら…。

2002年6月、コラムの女王は、39歳の若さで帰らぬ人となりました。もしも彼女が存命なら、その批評を知りたいと思う事象が、私には山ほどあります。原形を留めないほどバキバキに盛られた「自撮り」や「プリクラ」、SNSで炎上してしまう若者、自分磨きにいそしむ「意識高い系」の人たち…。ひょっとして空の上から覗きながら、笑いを浮かべているのかもしれません。嗚呼、どこかでコラムにしてくれていないかしら。

収録されている批評には『毎日新聞』や『週刊文春』を彩ったものも多く、当時の世相を感じさせるテーマも。それでも軽妙な語り口は、およそ20年が過ぎた今でも色褪せません。知らないなんて、勿体無い!そう言い切れる言葉たちに、是非触れてみてください。

文=神田はるよ