クラスに一人の割合? ゲイのぼくらがカミングアウトできない理由【ゲイの”本”音②】

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公開日:2016/2/28


『同性愛の謎』(竹内久美子/文藝春秋)

 いまこの記事を読んでいる人の中に、「LGBT」について関心を持っている人はどれくらいいるだろう。同性間の「パートナーシップ」を認める条例が制定された 渋谷区や同性カップルに関する書類を区長名で受領するという世田谷区の動きを機に、少しは興味・関心を抱いたことがあるかもしれない。

 けれど、自分のごく身近にそういった人たちが存在する、と真摯に考えている人は、正直言って、まだまだ少ないと思う。大抵の場合、「LGBTといえば、テレビの向こう側で活躍しているオネエタレントたちや、新宿二丁目にたむろしている人たちでしょ?」と考えがちだろう。しかしながら、それは間違いだ。LGBTは、すぐそばにいるのだから。学校の友人、職場の同僚、もしかしたら兄弟姉妹の中に。なにを隠そう、この記事を書いているぼくも、ゲイのひとりだ。

 とある調査によると、同性愛者はクラスにひとりかふたりの割合で存在すると言われている。これが100人の規模の会社であれば、そのうちの3~4人。千人単位の大きな企業ともなれば、その10倍以上。もしかすると、あなたの隣のデスクに座っている同僚が、同性愛者かもしれないのだ。

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 同性愛者という存在を生物学的視点からひもといた 書籍『同性愛の謎』(竹内久美子/文藝春秋)のサブタイトルも、「なぜクラスに一人いるのか」である。本書では、遺伝子や脳科学といった分野から同性愛者というものに迫っている。……なんて書くと、小難しく聞こえちゃうかも。でも、ここで注目したいのは、「同性愛の世界史――同性 愛は本来、どんな社会でも当たり前だった」という件。世界的に見れば、そもそも同性愛は普通のことであり、それどころか男の通過儀礼や文化として根付いていたのだ。そして、それは日本でも同様に。室町や江戸時代末期までは、将軍の半分以上が同性愛関係を持っていたのだ。ところが、それがどうして現代のように差別や偏見の対象になってしまったのか。きっかけは西洋文化の到来。同性愛を厳しく取り締まるキリスト教の伝来により、日本でもそれが忌み嫌うべき悪習とされてしまったという。

 しかしながら、過去に同性愛が当たり前のものとして存在していた時代があったのは紛れもない事実。もちろん、懐古的考えをもって、現代を生きる人々に迫ることはできないと思う。けれど、西洋化に伴い、日本で同性愛が迫害されるようになったのと同様に、世界的に同性愛者の人権が叫ばれているいま、次はそういった人たちへの理解を示す時代へと移行してもいいのではないかとも思う。それができない限り、いくら先進国だと言われていても、やはり日本は遅れているのではないか。そう強く感じてならない。

 また、ここま読んで、「いやいや、カミングアウトしてくれたらいつでも受け入れるのに」なんて思っている人も少なくないだろう。けれど、LGBTにとって、カミングアウトをするかしないかの決断は、非常に深刻な問題なのだ。

カミングアウト・レターズ』(RYOJI+砂川秀樹:編/太郎次郎社エディタス)

 『カミングアウト・レターズ』(RYOJI+砂川秀樹:編/太郎次郎社エディタス)という書籍がある。本書は、実際にカミングアウトをした当事者であるゲイ、レズビアンと、それを受けた親や教師とが、当時の思いを手紙形式で振り返った一冊だ。収められているのは、7組の往復書簡、全19通の手紙である。

 本書を読んで、ぼくは涙が止まらなかった。もちろん、当事者だからというのもあるだろう。けれど、それ以上に、カミングアウトの現実を突きつけられ、胸が締め付けられる思いがした。

 たとえば、最初に登場する親子の往復書簡。あるとき 母親を食事に誘い、そこでゲイだとカミングアウトした息子と、それを受けた母親とのやり取りだ。息子は、どうしてカミングアウトを決意したのか、その想いを吐露している。

引き下がるわけにはいかんかった。それまでの二十年みたいに、俺がゲイやってことを知られたくないって理由だけで、俺なりに幸せなこと/悲しいこと/嬉しいことも分けあえず生きる人生を続けるのは嫌やったから。(中略)俺は気持ちを話したんやから、これからは母さんや父さんの気持ちを聞いていきたい。俺は受け入れてもらったんやから、もう何を聞いても大丈夫。ありがとう、母さん。あの時、本当は泣いてたんやないか?

 それに対する母親の手紙では、カミングアウトを受けた当初の混乱がしたためられている。息子の告白を聞いて恐怖を感じた、そして絶望したとも。しかし、それは1ミリたりとも息子のせいではないと、母親は断言している。それまで、LGBTという存在を一切学んでこなかった、勉強する機会がなかったからなのだと。

お母さんはあの時、確かに本当は絶望してた。あなたのために悲しんだ。あなたを責めたく思ったかも知れない。でもそれはみんな、少しもあなたのせいじゃない。

 だからこそ、これを機に、マイノリティの人たちに対するニュースや報道に敏感になり、少しずつ現状がわかっていった。それは彼女のみならず、父親、そして兄も同様だったそうだ。そして、彼女の手紙の最後は、こう締めくくられている。

今でもお父さんと深刻に話し込むことはありますよ。でもそれは、子どもを持たないあなたが老後をどう生きていくのかとか、そういう具体的な問題についてで、たいていの時はリラックスして話せるようになりました。お父さんもあなたが「どんな恋人を連れてくるのか」話題にできるくらい。三人目の息子をどんな顔で迎えるのか、ちょっと楽しみですね。(中略)心配なことはないから、たまには帰っておいで。あなたの家はいつもここにあります。

 上述の母親のように、LGBTについての知識がないからこそ、それを目の当たりにしたときにどう対処すればいいのかわからないという人は多いと思う。その原因はやはり、「身近にLGBTが存在する」という意識の低さだろう。

 この母親のように、カミングアウトを真摯に受け止め、それについて勉強しようとしてくれる人が、はたしてどれくらいいるだろうか。正直言って、いまの日本ではまだまだ少ないように思う。大半の人は、LGBTをおもしろがったり、腫れ物に触るようにしたり、奇異の目を向けたりするだろう。

 個人的な体験になるが、こうしてフリーのライターとして仕事を始める前、まだ会社員をしていた頃、飲み会で同僚から「どうして彼女いないの?」「どうして結婚しないの?」と詰問されたことがある。後から知ったことだが、彼女はぼくのことを陰で「絶対ゲイだよ」と噂していたそうだ。

 こんな経験をしたことがあるLGBTは、決して少なくない。いや、ほとんどの人は、セクシャリティに関することで、なにかしらの嫌な思いをしてきただろう。だからこそ、カミングアウトすることを恐れ、自分をごまかし、嘘をつき、目立たないように生きようとするのだ。セクシャリティを隠し通すということは、アイデンティティを自ら殺すこと。それと同義ではないか。そして、それを強いているのは、紛れもない現代社会なのだ。

 ぼくは決して、LGBTを守れだの、尊重しろだのと声を大にして言いたいわけではない。ただ、この記事を読んだ人が、ほんの少しでもぼくらについて理解してくれれば、みんなが生きやすくなるのではないか。そう思っているだけなのだ。【ゲイの”本”音】はつづく。

文=渋谷アシル

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