「後悔せずに生きること」の本当の意味 失くしたものが必ず見つかる不思議な「うせもの宿」の秘密

マンガ

公開日:2016/3/8


『うせもの宿』(穂積/小学館)

 「今年こそ一日一日を大切に、後悔せずに精一杯生きよう……!」

 新しい年を迎えるたびに、私は凝りもせず、毎年こんなことを心に誓うのであるが、実際この目標を達成するのはとても難しい。ひと月もたたない内に、心がポキッと折れる出来事に遭遇するのが常である。

 人生には、悲しい出来事があまりにも多すぎる。怒り、恐怖、執着、嫉妬、不安……。悲観的な感情を一つも感じることなく、幸せな気持ちで一日を終えられる日は、一年を通して考えてみても、とても少ないのだ。

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 しかしむごいようだが、人生は一度きり。どんなにつらい出来事が我々を襲おうと、私たちはその記憶さえも丸ごと抱えながら、一日一日を慈しむように生きなければならないのかもしれない。精一杯生きることに、たとえ意味など見つけられなくとも。

式の前日』『さよならソルシエ』で話題をさらった穂積作のマンガ『うせもの宿』(小学館)。この物語は、失くしたものが必ず見つかるという、不思議に満ちた「うせもの宿」が舞台だ。マツウラという謎の男に連れてこられた客たちは、宿の入り口で、優しそうな初老の番頭に迎えられ、宿の中では少女のような女将と対面する。彼らは、かなり古めかしい宿で一日を過ごしながら、女将の助けを借りて、自分の「失せ物」を探すのである――。

 雪山帰りの父親、化粧っけがない女教師、親友を裏切ったことに心を痛めている若い女性……。宿には日々、様々な人々が訪れる。だが、宿に宿泊するほぼ全員が、自分の探し物が何かがわかっていない。それどころか、なぜ自分がこの宿にたどり着いたのかもわかっていない者もいた。

 例えば、雪の日に宿にやって来た、派手な身なりをしたシングルマザーの恵美子。彼女は宿に着くなり、実家から盗んだはずの、土地の権利書を探し始めた。それがあれば、付き合っている彼の借金を返すことが可能になり、14歳になる息子がいる自分でも、結婚してくれるはず! と考えたからである。しかし、いくら探しても権利書は見つからない。本当の失せ物が何かわかっていない彼女に、女将も協力することはしなかった。

 その晩、恵美子は自分が権利書を盗んだ日も、雪が降っていたことを思い出す。帰り道、車の助手席には息子が座っていて、運転中、必死に母親である自分の腕を強くつかみながら、こんなことはやめるように説得していた。だが、腕をつかまれた彼女は、会話に気をとられ、目の前に電柱があることに気がつかなかった。そして、そこから先の記憶がないことも思い出したのだ――。

 実は、うせもの宿を訪れる人々は、この世に未練を残して死んだ者ばかり。客として訪れた恵美子はもちろん、宿の従業員である料理長の桜井も、皆の母親のような存在として従業員をとりまとめる女性・お軽さんも、誰もが複雑な事情を抱えて、宿に留まり、失せ物を探し続けていたのである……。

 何かと厳しい世の中を生きる私たちは、未練や後悔を残したまま亡くなっても、うせもの宿に出会えるとは限らない。誰も手を差し伸べてくれない可能性だってある。たとえ今、どんなに悲しいことが多くても、幸せだった時の記憶まで失くしてはいけないし、今できることは、決して先延ばしにしてはいけないのだろう。

 ちなみに「うせもの宿」には、まだたくさんの驚くべき秘密が隠されている。少女のような女将と案内人のマツウラ。この二人の間にも、涙なくしては語れない、ある恋の物語が隠されている。人間の、恐らく人間だけの、愚かだけれど愛おしい性が余すことなく描かれており、私たちの心をそっと優しく力づけてくれる感動作だ。ぜひ読んでみてほしい。

文=さゆ