小室哲哉ブームを終わらせたのは宇多田ヒカルだった 1998年、音楽界はどう変わったのか?

音楽

公開日:2016/3/9


『1998年の宇多田ヒカル』(宇野維正/新潮社)

 斜陽化の叫ばれる音楽市場。一般社団法人 日本レコード協会による直近の統計によれば、2015年におけるCDの総生産枚数は1億6783万9000枚で、年々、減少傾向にあるという。その背景をどこに求めるかはさておき、少なくとも音源を手にするという喜びやありがたみは以前とは異なってきた印象もある。

 では、もっとも隆盛をきわめたのはいつか。“1998年”だとするのは、『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)の著者である音楽ジャーナリストの宇野維正さんだ。本書によれば、1998年におけるCDの総生産枚数は4億5717万3000枚。総売り上げ金額は5878億7800万円とされるが、現在までに市場規模は3分の1へ迫るほどに縮小したことになる。

 参考までに、同時期のアメリカにおける売り上げ枚数は8億4610万枚。しかし、人口比でみると1998年の日本人は「人類の歴史が始まって以来、最も多くの音楽ソフトを買っていた人々」だと著者は語る。

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 そのさなかで音楽市場に新たな風をもたらしたのが、本書で取り上げられている宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみという4人の歌姫である。

 4人に共通するのは、自分自身で作詞・作曲を手がけるだけではなく、作品をリリースするたびにプロデューサー的な立ち位置から楽曲とキャリアの方向性をコントロールする姿勢。さらに、同性や異性を問わずファンの心を惹きつける点であり、彼女たちがデビューする以前のアーティストとは「まったく異なるタイプの音楽家だった」と著者は分析する。

 また、時代の移り変わりを象徴したのが小室哲哉による“TKブーム”の終焉である。小室本人もテレビ番組などで「(宇多田)ヒカルちゃんが僕を終わらせたって感じですね」と発言しているが、同書には著者のインタビューによる小室の回想も記録されている。

 小室は当時を振り返る中で日本特有の芸能界というエンターテインメントの世界において、プロダクションやレコード会社の上役からの意向を調整しながら、一方で才能ある若い世代を表舞台へと引き上げることへの苦悩を語っている。

 小室の気持ちを「様々なしがらみによって仕事を減らすことは不可能だった。むしろ増えていくばかりだった」と著者は代弁する。

 あまりにも巨大なビジネスになった果てには、約5年間にわたりヒットチャートを独占してきたことによる大衆の「飽き」と「反動」が訪れた。そして、著者いわく「B級アイドルを歌姫として再生させる」という“小室システム”を蜜月にあったエイベックスが自製し、浜崎あゆみへの資本投下へ切り替えたことも“TKブーム”が終焉を迎えた要因のひとつに挙げている。

 歴史を振り返ると、従来からあるプロデューサーが才能を見出し輝かせるという手法だけではなく、アーティスト本人が自身をいかに輝かせるかという姿勢が求められはじめた時期であったようにもみえる。そして、現況を眺めてみると、ニコニコ動画などから商業的に活躍する音楽クリエイターが誕生するなど、アマチュアとプロの線引きも薄れつつある。

 本書は1998年を中心として音楽市場を俯瞰した本であるが、その変遷にふれてみると、音楽を取り巻く世界の見え方もまた変わってくるはずだ。

文=カネコシュウヘイ