東日本大震災から5年、ライブハウスから鳴り響く“復興”の本質とは?

社会

更新日:2020/9/1


『東北ライブハウス大作戦 ―繋ぐ―』(石井恵梨子/A-WORKS)

 東日本大震災発生から5年。年明け早々から震災復興事業でのずさんな工事が問題になったり、政府や東電が帰還促進・賠償打ち切りを進めたりと、復興に関する明るいニュースはあまり聞こえてこない。

 5年前、大震災が発生した直後、節電による薄明かりの日本には、共に復興の道を歩もうという人々の思いと、明日への小さな希望の火がそこかしこで瞬いていた。だがたった5年で、あの時の優しさ、恐怖や不安は風前の灯火の如く、消えかかっている。「復興」とは何なのか。何を忘れ、見落としてしまったのか? その答えのひとつが、東北ライブハウス大作戦にある。

 東北ライブハウス大作戦とは、その名の通り、大震災で被災した東北各地にライブハウスを作り、ライブハウスを起点に人々の「繋がり」を広げていこうというプロジェクトである。震災発生数ヶ月後に始まった“大作戦”は今なお継続中だ。

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 その発端から現在に至るまでの過程や関係者の思いは、『東北ライブハウス大作戦 ―繋ぐ―』(石井恵梨子/A-WORKS)に詳しい。

 日本でも屈指の実力人気を誇るバンド、Hi-STANDARDやBRAHMANなど数々のバンドの専属PA(音響技師)であり、「もう一人のメンバー」として知られる西片明人氏が作戦本部長となり、この作戦は始まった。

 被災地・宮古でのチャリティライブの打ち上げの場で、自らも被災者となった西片氏が「被災地にライブハウスを作る」と突然宣言したのは、震災発生から3ヶ月後、2011年6月のことだった。瞬く間にその計画は大船渡、石巻にも伝わった。奇しくも、石巻には西片氏とは別個に、ライブハウスを作りたいと思っていた人物がいた。1軒のライブハウスを作る計画は一気に3軒に膨らんだ。BRAHMANをはじめ、日本のパンクロックシーンを彩るミュージシャンたちが次々と参加・協力し、寄付金を集めてくれた。解散したHi-STANDARDは再結成し、東北ライブハウス大作戦のために歌った。

「今、被災地に必要なのは物資や住居であって、ライブハウスではないでしょう?」という反対の声、被災者の足元を見て建築費を次々と上乗せする悪徳業者、行政に振り回され店舗移転を余儀なくされる理不尽な状況など、様々な困難やトラブルもあった。

 それでも、人々の熱意は逆境に打ち勝ち、被災地に3つのライブハウス――宮古「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO」、大船渡「LIVEHOUSE FREAKS」、石巻「BLUE RESISTANCE」――が誕生した。

 詳細は本書を読んでいただきたいが、ライブハウスオープンまでの出来事、関係者の言葉、人々の想いが集まっていく過程は、まるでフィクションのように劇的で感動的だ。

 しかし、である。東北ライブハウス大作戦とは、極論すれば「新しいライブハウスが東北に3軒オープンした」だけのことでしかない。売上を寄付するわけではないし、被災者の就職斡旋先でもない。音楽関係者が多く集まっているのにチャリティソングがあるわけでもない。「復興の旗印」を掲げるためのプロジェクトではあるが、慈善活動や被災地支援の窓口ではない。

 だが、そこに本質がある。“被災者だった”人々は、ライブハウスを作り、経済活動を始めたことで、“街の人”に戻ろうとしたのだ。誰かの援助を受けて“生かされる”のではなく、自らの手で、自分たちの街で“生きよう”としたのだ。

 大船渡支部長の言葉が、それを物語る。

「ライブがあるって、それだけで目標になるんですね。俺も普段の仕事は地味だし、みんな、面白くないことなんてたくさんありますよね。でも2ヶ月先のチケットがあれば、それまでは頑張れる。(中略)ライブハウスって、そういう場所。年に一度のお祭りではないけど、ほんと近くにあって楽しい目標を作れる場所だから」

 津波は、無情にも街を人を飲み込み、無残に破壊した。だが、同時に人と人との間にある心の壁も壊した。ちっぽけなプライドも、恥も見栄も外聞もさらっていった。そこに残った「自分たちの明日に希望を持ち、生きる実感を取り戻そう」という気持ちが、繋がった。その「場」が、彼らにとってライブハウスだったというだけの話なのだ。

 そして、東北ライブハウス大作戦で忘れてはならないのは、「もともと何もなかった街に“新しい”ライブハウスを作った」ことだ。関係者の多くは「音楽不毛の地」である地元に、音楽を鳴り響かせる場所が欲しかった。ライブハウスというハコには「生きる喜び」を感じられるから。だから、作った。そこに大きな意味がある。

「復興」とは、「復し(かえし)興す」ことだ。元通りにするだけでは足りない。以前と寸分違わぬ建物や道を作っても、そこに生きる意味を感じられなければ、ただのハリボテでしかない。今日を生きる人々が、末広がりの明日を繋いでいけるように、「この街で生きる意味」を、皆の手で生み出すことこそが大切なのだと、東北ライブハウス大作戦は教えてくれる。

 最後に、作戦本部長・西片氏の言葉を紹介して、この稿を締めたい。

「気持ちを繋ぐもの。世代を繋ぐもの。地域を繋ぐもの。俺はそういうことをやりたかったんだと今になって思う。考えるのは、10年、20年という長いスパン。そのための今だ。(中略)懸命に生きる今があってこそ、過去の自分にも理由が見いだせるし、目指す未来も見えてくる。そういうことじゃないか?」

 復興とは、きっとそういうことなのだ。

文=水陶マコト