万城目学の2年半ぶりの長編は、自伝的小説!? 作家志望の雑居ビル管理人が巻き込まれた世界の一大事とは?

文芸・カルチャー

2016/3/19

「なりたい自分」を追い求める日々のなかで、誰もが恐れるのは、自分のあがいてきた時間が無駄になることではないだろうか。自分にまったく才能がなかったら、どうしよう。本当にこのまま何者にもなれなかったら、どうしよう。何かになりたいという夢を持つことは簡単でも、それを叶えるのには、途方もない努力が必要だ。暗中模索。五里霧中。現実に飲み込まれないように踏ん張る日々にゴールはあるのだろうか。

「夢」とは?「才能」とは?「なりたい自分」と今の自分に悩んだ経験のある人にぜひとも読んでほしい作品がある。万城目学著『バベル九朔』は、『鴨川ホルモー』『プリンセス・トヨトミ』などで知られる作者の『とっぴんぱらりの風太郎』以来、2年半ぶりの長編小説。作家志望の主人公が、悩み、葛藤するなかで、ふとしたことから日常から一歩飛び出た世界へといざなわれていく物語だ。

舞台は、雑居ビル「バベル九朔」。会社を辞め、小説家を目指しながら、祖父の遺したこのビルの管理人を務める主人公は、日々新人賞受賞を目指して原稿をしたためながら、個性派揃いのテナント相手に業務をこなしていた。そんなある日、彼は、黒ずくめの怪しげな女「カラス女」に出会う。「扉はどこ?バベルは壊れかけている」…。その頃、ビルでは奇妙な事件が頻発し始めた。巨大ネズミの徘徊や空き巣事件発生、店子の家賃滞納、小説新人賞の〆切…。心が休まる暇もない主人公は、うっかりある一枚の絵に触れてしまう。すると、彼はいつのまにか、見知らぬ湖に立ちすくんでいた。そこで出会う不思議な少女。そして、次第に眼前に現れる、巨大な塔…。この塔は一体何なのか。彼は元の世界に戻ることができるのだろうか。

この作品は万城目氏の作品の中で、もっともビターな作品かもしれない。小説家志望でありながら、どんな小説賞に出しても一次選考にすら通らない主人公の姿は、何らかの「夢」を見たことのあるものならば、誰もがその姿に共感してしまうだろう。自分に「才能」は本当にあるのだろうか。こうやって「夢」のために時間を費やすことは無駄にならないだろうか。そうやって思い悩む主人公の姿には、かつて、小説を書きながら雑居ビルの管理人をしていた万城目氏自身の姿が投影されており、この物語は、彼の自伝的な小説ともいえるのだ。

今までも様々な作品でささやかな日常と不可思議な非日常が交差する世界を描き、読者をあっと言わせてきた万城目氏だが、この作品ほど、読む人を惑わせる作品も珍しい。この本の中に迷い込んだ瞬間、読者は、ここは一体どういうところなのかと、主人公とともに混乱させられる。だが、この世界に沈んでいけば、沈んでいくほど、この物語で描かれているのは、日常からほんの少し飛び出ているだけの世界であることに気づかされる。

誰だって、主人公のようにうっかり一枚の絵に触れて、見知らぬ世界に迷い込んでしまうこともあるのかもしれない。もしかしたら、この本自体が、日常の先にある世界へといざなう一枚の絵なのかもしれない。物語が進むにつれて、次第にパズルのように緻密に組み合わさった世界が現れていく。その時、あなたは何を感じるだろうか。一度、この本を手にとったら、あなたは万城目ワールドに魅せられるに違いない。作家生活10周年を迎えた万城目氏の最強の「奇書」がここにある。

文=アサトーミナミ