人の気持ちが読めないアスペの夫と、円滑な夫婦生活を築くことはできるのか

恋愛・結婚

更新日:2016/4/13


『カサンドラ妻の体験記 心の傷からの回復』(西城サラヨ/星和書店)

 なぜ、夫婦生活で「コミュニケーションがうまく取れないと困る」のか。

 そもそも、夫婦は“家庭という運命共同体”の舵取りという任務をともに担う相方であり、パートナー。そのミッションは多岐にわたり、穏やかで平和な家庭運営のためには役割分担が大切となる。ワーキングマザーの友人夫妻などは、TPOごとに分担のフォーメーションを変え、平常時(夫が仕切る)・子どもや親族まわりの緊急時(妻が仕切る)・子どもを叱る(日常のしつけは妻だが、重要な場面で叱るときは夫)と、状況に合わせた立ち位置を決めている。そして、それはあうんの呼吸で遂行されるのだという。その際には相手の空気を読み、感情を察する力が不可欠だ。

 ところが、愛すべきパートナーが、実は人の気持ちを読み取ることが難しい発達障害を抱えていたとしたら…。

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 近年「カサンドラ症候群」という、結婚相手が「アスペルガー症候群(発達障害)」であることで情緒的な相互関係が築けず、そのことで心身の不調をきたすとされる人が増えている。そんな妻の葛藤の日々をつづった『カサンドラ妻の体験記 心の傷からの回復』(西城サラヨ/星和書店)は、以前レビューされた『マンガでわかるアスペルガー症候群&カサンドラ愛情剥奪症候群』(星和書店)の続編だ。マンガ中心の前作とは対照的に、妻の文章を中心にマンガ要素も挿入しながら、どのように夫婦が崩壊し離婚に至ったのかの顛末が詳しく記されている。

 著者のサラヨは、20代前半で感情の起伏が薄い夫・ヒデマロを、自分の理想のパートナーだと信じて結婚。しかし夫婦の亀裂は第一子出産後に訪れる。いわゆる産褥期の心身が疲弊した状態をまったく察してくれない夫との生活に、徐々に絶望感を覚えたサラヨは、うつを発症。以下、アスペルガー症候群だと思われる夫との育児の苦労や、カサンドラ症候群に陥った自身の病状、夫自身の二次障害などが時系列でつづられてゆく。切ないのはひとつのテーマが終わるごとに、当時を振り返った考察風の反省めいたひとりごとが添えられていることだ。

・子どもの世話を頼むときは具体的に、例えば「子どもがけがをしないよう抱っこしていてほしい」など、根気よく指示すればよかったのかもしれない。
・「私は疲れている、なぜならこれこれこうだから」「だから、なになにしてほしい」と順序だてて、細かく気持ちやしてほしいことを伝えていけばよかったのかもしれない。
・ヒデマロさんは、自分の不満や混乱を、表現する方法がわからなかったのかもしれない。不満や混乱の表現方法がわからなくて、本人も苦しんでいたのかもしれない。

 冒頭の友人いわく「日ごろ職場で気配りするぶん、家の中までしたくない。こっちも疲れているから、いちいち説明しなくても “そこはわかって。カンベンしてよ”と思っちゃう」。誰もが多忙な日常を抱えている今、そう思うのもごく自然な感情だ。

 本書が特徴的なのは、冒頭に本書を読むにあたっての精神科医師からの興味深い注釈コメントが添えられていることだ。その部分を要約してみよう。

・本書は実在の方の体験記だが、あくまで妻が感じた妻目線による記録であることをふまえて読んでほしい
・夫は医学的診断を受けたわけではなく、日々の生活の中で妻から“アスペルガー症候群の特性がある”と判断された。ここに医学的な正否はない
・同様に、妻の医学的診断もカサンドラ症候群ではなく、ここにも医学的な正否はない
・しかし夫婦をこうした名称で仮にとらえることで、夫婦間に起きたできごとを理解しやすくなる
・ただし、物語は妻の視点からのものであり、夫の視点から見たら、また別の物語になることが推測される

 アドラーは、“人は誰でも自分の経験をふまえた価値観でものごとや世の中を見ている。それぞれが異なる色のめがねをかけているようなものだ”と表現した。同じものを見たとしても、その見え方、とらえ方は、人それぞれの認知によって異なるからだ。

 本書は実際にこうした苦しみを抱える人々にとっての心の支えとなるだけでなく、人間関係に悩む人にとっても、何かしらの助けとなるようなヒントが含まれている。最終章では、著者自身が離婚後新たな人生への一歩を踏み出し、時間をかけて心の傷から回復してゆくさまが描かれているのも大きな救いだ。今、目の前にいる相手がどんな世界を見て、それをどのように受け止めているのか。まずはひとつの事象に対して、さまざまなアングルの視点や、相手の気持ちを察しようとする想像力をもつことで、少しづつ光が差してくるのかもしれない。

文=タニハタ マユミ