板野友美主演で映画化!誰かに覗かれている…ぞっとするような怪異譚の裏に仕掛けられた巧妙な罠『のぞきめ』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/15


『のぞきめ』(三津田信三/角川書店)

三津田信三氏は、ホラー作家であると同時にミステリー作家でもある。しかし、それは、時にホラー小説を書き、時にミステリー小説も書くというのとは少し違う。著者の作品は怪異と推理が常に混然一体となっているのだ。例えば、作品の冒頭で鬼か悪魔の仕業としか思えない禍々しい事件が起きたとする。ホラー小説であれば、その禍々しさはストーリーが進むにつれてエスカレートし、破滅へと向かって突き進んでいくだろう。ミステリー小説ならば、禍々しさの裏には人間による企みがあり、探偵役が明晰な頭脳によってそのトリックを暴いて一件落着だ。だが、三津田信三氏の作品はそのどちらでもない。禍々しい事件の裏に人間の企みを感じ取り、トリックを暴いてもなお、怪異が止まらないのが三津田流だ。普通であれば優れた理性は恐怖を駆逐するはずなのに、著者の作品では、人間の理性が謎を解き明かすほどに、その理性によっても踏み込むことのできない深淵の闇は深くなっていく。名探偵の鮮やかな推理が必ずしも大団円をもたらさず、推理からこぼれ落ちた部分が新たな恐怖を生み出していくのだ。

4月2日に公開された映画の原作小説、『のぞきめ』(三津田信三/角川書店)もそうした特徴を色濃く持つ作品である。本作は、『覗き屋敷の怪』と『終い屋敷の凶』というふたつの物語によって構成されている。

『覗き屋敷の怪』は、昭和の終わり頃の話だ。4人の大学生が、アルバイトをするために山奥の貸別荘地を訪れる。彼らは、山に入った途端に嫌な気配を感じるが、しばらくは何事もなく過ぎていった。しかし、ある日、バイトのひとりである女性が、巡礼者の母娘に誘われて不思議な場所に行ったことを打ち明ける。その場所を確かめるべく、山に入る4人だったが、不気味な廃村に迷い込んでしまう。ただならぬ雰囲気に、彼らは別荘へと逃げ帰り、それ以降、正体不明の視線に悩まされることになる。

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一方、『終い屋敷の凶』は昭和初期の話であり、『覗き屋敷の怪』より半世紀ほども前の出来事ということになる。大学で民俗学を学んでいた四十澤は、親友の鞘落から彼の実家が代々「のぞきめ」という妖怪に取り憑かれているという話を聞かされる。しかし、鞘落は民俗調査のフィールドワーク中に謎の転落死を遂げてしまう。数カ月後、四十澤は鞘落家を訪れるが、そこで彼は少女の姿をした「のぞきめ」に出くわすのだった。

『覗き屋敷の怪』は、ぞっとする描写に溢れ、読み手の心の中にじわじわと恐怖心が広がってくるストレートな怪異譚だ。長さも短編小説ほどで、一気に読める怪談話の好編だと言えるだろう。それに対して、『終い屋敷の凶』の方は少し毛色が違っている。舞台は4人の大学生が迷い込んだあの廃村だが、まだ村に人が住んでいた時代の話だ。「のぞきめ」は村人から恐れられてはいるが、その存在は日常に溶け込んでいる。また、なぜ、「のぞきめ」が誕生して、それに対し、鞘落家ではどのような対処をしてきたのかという具体的なエピソードも明らかにされていく。その上、あどけない女の子の姿をした「のぞきめ」自身が、主人公の前にその姿をさらすのである。つまり、怪異の正体がはっきりしすぎて、『覗き屋敷の怪』のような未知なる故の怖さに欠けるのだ。

しかし、そう思った時には、すでに三津田氏の術の中だ。『終い屋敷の凶』は決して単純な怪異譚ではない。物語の中にはある秘密が隠されており、それが、恐怖の温度差へとつながっている。しかし、『覗き屋敷の怪』の存在がミスディレクションとなって、読者はそれに気がつかないのである。そして、真相が明らかになった時には、その巧妙さに舌を巻くだろう。こうして、『終い屋敷の凶』は理知の光で照らされるが、その一方で、『覗き屋敷の怪』の怪異はそのまま野放しにされる。そのコントラストが恐怖をさらに増幅させるのだ。

『のぞきめ』はミステリーとしてもホラー小説としても一級の作品である。そして、何より、著者でしか書き得ない独特の世界だ。この三津田ワールドが映画ではどのように表現されるのか、注目したいところである。

文=HM