映画『海よりもまだ深く』公開! 監督 是枝裕和インタビュー

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2016/5/6

 子どもの頃、なりたかった夢を覚えているだろうか。今はあの夢の続きを生きているのだと胸を張れるだろうか。
『海街diary』で第39回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した是枝裕和監督の最新作『海よりもまだ深く』が5月21日に公開になる。
 本作で阿部寛演じる主人公・良多は新人賞を一度とったきりの売れない作家。そんな彼の年老いた母、離婚した妻と息子、元家族が台風の日に集まって――。それぞれの人生に流れた時間が胸に迫る感動作だ。

是枝裕和
これえだ・ひろかず●1962年東京都生まれ。95年『幻の光』で映画監督デビュー。2004年『誰も知らない』で主演の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞、13年『そして父になる』でカンヌ国際映画祭審査員賞、16年『海街diary』で日本アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞を受賞。主な監督作品に『ワンダフルライフ』『歩いても 歩いても』『奇跡』などがある。

 みんながなりたかった大人になれるわけじゃない――。

 是枝監督が脚本の1ページ目に書いたのはこんな一行だった。映画『海よりもまだ深く』は、夢見た未来と違う今を生きる大人たちの物語。主演は、映画『歩いても 歩いても』『奇跡』、ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』に続き、4度目のタッグを組む阿部寛。

「阿部さんが演った中で一番情けない役、一番背中の丸まった人間たちの話です」

 売れない作家の良多(阿部)は、妻の響子(真木よう子)にも愛想をつかされ、離婚。「小説のための取材」と称して探偵事務所で働いているが、ギャンブル好きで息子の養育費も払えない男だ。

「僕が思う阿部さんの魅力はカッコ悪いところ。もちろん褒め言葉ですよ。黙って立ってるとカッコいいんだけど、しゃべったり動いたりすると、ふっと笑っちゃうような人間の小ささとか情けなさをちゃんと出せる。しかもチャーミングに。珍しいですよね、モデル出身なのに」

 最初にそこに気づいたのは、ある偶然からだという。

「フジテレビで深夜に放送されていた『チンパンニュースチャンネル』というバラエティ番組に阿部さんが出てたんです。司会者のチンパンジーの声はビビる大木さん。即興でゲストと会話していくんだけど、阿部さんが“最近体鍛えてるんですよ”みたいな話をして、その場でルームランナーを始めた。そうしたらチンパンジーが勝手にスピードをあげちゃって。阿部さん、走ればいいのに、走らずに一生懸命歩くスピードだけあげたんです。その滑稽な感じがすごくよかった。番組を観た翌日すぐに僕は事務所に電話をかけました」

 それが、映画『歩いても 歩いても』の出演依頼だった。

「撮り終わるまでは“実は『チンパンニュース』を観て”とは言えなかったけどね。あとで話したら、阿部さん“出てよかった!”って喜んでました(笑)」

 母親役の樹木希林も、これが実に5作目の是枝作品になる。

「このお二人でというのは最初から決めてました。希林さんって、現場でポットの位置から花の位置まで全部体に覚えさせる。さらっとやってるけど、どうすれば住んでいるように見えるかを熟知していて、“お茶ひとつ入れるのも見ないでできるようにならないと”って、そのためにすごい努力をする。息子が持ってきたケーキに“ありがとね”と仕草でやって箱を開けて中を見て、包装紙を畳んでヒモをきゅっと結ぶまでの流れなんて惚れぼれする。一連の動作に僕が書いたせりふがきれいにまぶされて、母親ってこうだよね、母親が台所で働くってこういうことだよねと思わず納得してしまう」

 

父親になり、人生のゴールが見え始めた男の家族の物語

『海よりもまだ深く』というタイトルは、テレサ・テンの『別れの予感』の歌詞から。

「『歩いても 歩いても』の時も、タイトルは『ブルー・ライト・ヨコハマ』の歌詞からとって、どこかであの歌をかけるって決めて、そこに向かって書いていったんだけど、今回も似た構造で昭和の歌謡曲にしようと。ちあきなおみの『喝采』だとちょっとやりすぎだからテレサ・テンに。団地住まいの母親の人生とかけはなれているところがいいなと思ったんです」

 そういえば『歩いても 歩いても』の主人公も〈良多〉で、母親役も同じ、樹木希林である。

「阿部さんとは40代で『歩いても 歩いても』をやって、あれはまだ両親が生きてる時の息子のホームドラマだったけど、お互い50歳になり、二人とも父親になった。なので、今回は父親であることをそこに加えて、息子で夫で父の男の話をやりたいと。同じ世代の監督と役者が実人生でも環境が変わり、年齢が上がり、それを反映した役ができ、作品が生まれていくというのはいいなあと思って」

 トリュフォーが『大人は判ってくれない』のアントワーヌ・ドワネルを主人公に、一人の少年が恋をして結婚するまでを撮り続けたみたいに、是枝監督にとってこの2作はどこか地続きの〈良多の物語〉というわけだ。

「そんなふうに撮り続けていくとしたら、40代と50代で何が変わっただろう。おそらく多くの50代の男はそろそろ人生のゴールが見え始めている。“ああ、ここまでだったか、俺”っていう着地点が見えてきてるんじゃないかって。周りを見ても自分を探ってもそう思うんですよ」

 監督が子どもの頃になりたかったものって何ですか?

「プロ野球選手。小学校の卒業アルバムにはそう書いた。でもこの映画の慎吾くんと同じで、なれると思ってたわけじゃない。高校生の頃は小説家になりたかったけど、母親はずっと“公務員、公務員”って言ってましたね。将来は高校の国語の先生になって、バレー部の顧問をやりながら、夏休みに小説を書き、芥川賞をとったら先生をやめるって漠然と思ってたのが、大学入って“あ、映画だ”と思っちゃった」

 折しも倉本聰の全集が刊行され、山田太一、向田邦子がドラマの最前線で名作を次々生み出していた1980年代。シナリオ学校に通い、脚本家を夢見た青年は、大学卒業後はテレビマンユニオンに入社。ドキュメンタリー番組の演出家になった。

「結果的には遠回りでよかったと思うけど、当時は映画に行けないからテレビに行き、ドラマができなかったからドキュメンタリーに行って、でもドキュメンタリーの取材を通して市井の人たちの夫婦のかたち、家族の姿を垣間見るうちに、これは書けない、これに比べると俺の書くものなんてクソだなと。正直に言うと、そこで目の当たりにしたものに勝てるものが書けないとフィクションをやっちゃいけないと思ってましたね。非常に限定的ではあるけれど一般の人たちにカメラを向けさせてもらって撮ることが、結果的にはいい脚本を書き、いい監督になるために必要なことだった」

 

舞台になった旭が丘団地に19年間住んでいました

 実は舞台になっている東京都清瀬市にある旭が丘団地には9歳から28歳まで住んでいた。

「だから今回は僕の記憶の中にある風景に阿部さんと希林さんがいるという非常に不思議な映画なんです。父親が死んで、母親が一人になったところに僕がお正月に里帰りして、あ、なんか変わったな、子どもいないんだ、もう、みたいな。それが2001年、その時からいつかこの団地を撮りたいと思っていた」

 監督もあのお風呂に?

「入ってました。阿部さんが入ると余計ちっちゃく見えるよね(笑)。実際はリノベーションして今はタッチで沸く最新式の風呂になってたりするんだけど、実家に帰ると母親ってなぜか“風呂入れ”って言うじゃないですか。“いやもう疲れてるから寝る”って言っても、奥でガチャコンガチャコン始まる。記憶の中のあの音を入れたくて、あそこだけセットなんですよ」

 カメラを向ければ、いくつもの記憶がよみがえってくる。

「僕の父親はギャンブルが好きで、慎吾が良多に宝くじを買ってもらった時のやりとりも、実際に僕の目の前であったこと。良多には僕も入ってるけど、僕の父親が多分に入ってる。タコの滑り台がある公園も、実際は貝がら公園という子どもたちがたまり場にしてた場所で、台風の時、貝殻の滑り台に10円のライスチョコ持って友達同士で集まった。あの風景を見ていると思い出すことがたくさんあるので、そういうのが結構詰め込まれているかもしれない」

 思えば〈家族〉というもの自体がいつかあとかたもなく、記憶の中だけにある風景になる。

「両親が死んだ時、自分は誰の子どもでもなくなったと、やや不安定な気持ちになって。息子でなくなったことで、ひとつ地図が消えた感じがあった。そのあとで子どもができて嫁さんが母親に、僕も父親になった。家族って、そうやって新陳代謝を繰り返しながら継続していくものなのかな、と。その輪っかのひとつに自分がなれているというのは安定でもあり、束縛でもある。どうとらえるか、そこが難しいところなんじゃないですか、男には。だからなくした後になって、愛に気づく」

 別れた今になって「父親になろう」とあがく良多に、リリー・フランキー演じる探偵事務所の所長は言う。「大人は誰かの過去になる覚悟も必要だ」と。

「人生と時間をめぐるひと言をそれぞれが言いたいと思った。できるだけ、さらっとね」

 それぞれのせりふは、観る人の現在地もそっと揺らすだろう。

「台風がいった翌朝の団地の芝生ってきれいなんですよ、晴れてると。そういう読後感の話にしたかった。家族以外にも撮りたいテーマはあるし、家族の作家というのを名刺にするつもりはない。これでしばらく家族ものは休むと思いますが、この先60歳を過ぎたくらいで、阿部さんとまたやれたら、素晴らしいなと思っています」

取材・文=瀧 晴巳 写真=江森康之

 

映画『海よりもまだ深く』

『海よりもまだ深く』メインスチル

原案・監督・脚本・編集/是枝裕和 
出演/阿部 寛、真木よう子、小林聡美、リリー・フランキー、池松壮亮、吉澤太陽、橋爪 功、樹木希林 配給/ギャガ 5月21日(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他にて全国ロードショー
売れない作家の良多(阿部寛)は「小説のための取材」と称して探偵事務所で働いている。妻の響子(真木よう子)とは離婚。月に一度、息子の真悟(吉澤太陽)に会うのを楽しみにしているが、養育費も払えない状況。そんな元家族が台風の夜に団地で一人暮らしをしている母の淑子(樹木希林)の家に集まり──。“なりたかった大人になれなかった大人たち”を描いた是枝監督の最新作。
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