渡辺ペコ待望の最新作! 疲れた心と身体に染みわたるおふろマンガ

マンガ

公開日:2016/4/28


『おふろどうぞ』(渡辺ペコ/太田出版)

 お風呂と聞いて思い起こす言葉は、「さっぱり」だろう。身体的にもそうだし、「風呂は魂の洗濯」という某有名なキャラクターの発言でもある通り、精神的にも「すっきり」するイメージが喚起される。

 だが、お風呂を題材にした短編マンガ集でありながら、いまいちすっきりしない、むしろ心に何かを訴えかけ、考えさせられるような、そんな物語の詰まった一冊がある。『おふろどうぞ』(渡辺ペコ/太田出版)は、大人女子向けの作品を得意とする、渡辺ペコ待望の最新作。多くの描き下しを加え、満を持して単行本になった。

7編のストーリーには全て「お風呂」が関わってくる。個人的に好みのお話をピックアップして、ご紹介してみたい。

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「不倫未満温泉未満」では、妻子持ちのおじさんに「あなたのこと好きかも」と、突然の告白をされたイラストレーターの女性、片平(かたひら)のお話だ。彼女は35歳で独身。イケてる女子ではない。「前に男の人に好きって言われたのはいつだっけ」と考えてしまうような女性だ。そんな彼女に言い寄る湯川(ゆかわ)は、50歳になる、どこにでもいそうなメガネのおじさんである。

 最初は相手にしなかった片平だったが、湯川のちょっとズレた熱烈アプローチに、少しずつ、なびいていく。そんな時、湯川から「今度、温泉に行きましょうよ」との申し出が。「不倫じゃないですか」と訴える片平に、「布団を部屋のはじっことはじっこに敷けばいいんじゃないですか?」と、これまた少しおかしな回答。

 呆れる片平だったが、心のどこかでは、温泉旅行を楽しみにしている自分がいた。しかし結局、温泉には行けずに、この物語は唐突に終わる。ネタバレをしたくないので、詳細は述べられないが、あっけない終着と、物悲しさが、なんとも言えずに心を締め付けた。

 湯川の片平に対する想いは、「不倫」と呼ぶにはお粗末すぎるほど、純情な「恋心」だったのかもしれない。そして片平が湯川に抱いていたのは「愛情」ではなく、「自分を好きだと言ってくれる人への親しみ」だったのではないだろうか。彼女たちの関係は決して恋人同士ではない。けれど、片平は湯川と会えなくなった後も、お風呂の湯気の先に、彼の面影を見てしまうのだ。

 お次は「サボリ風呂」。こちらは「不倫未満温泉未満」に比べると、非常に癒され、共感できる。最近額の髪の毛が後退してきた冴えないサラリーマンの越後(えちご)が、仕事をサボって温泉旅館に行くお話だ。

 部下のミスを謝罪するために、一緒に取引先に訪れたが、部下は今時の若者。「たい焼きでも食ってくか!」と落ち込んでいる部下を慰めようとしても、「俺、甘い物苦手なんで」とあっさり拒否されてしまう。電車では大学時代、同じゼミに入っていた女性に偶然出会うのだが、彼女の視線は明らかに額の後退した髪の毛を見ているし、「じじい、邪魔」と女子高校生にキレられることも。

「あれ? つらみの波が押し寄せてきたぞ」

 越後は会社に帰るつもりが、途中下車して温泉に向かう。もちろん、「大人なので」無断欠勤なんてしない。ちゃんと会社には偽りの事情をメールし、子育てでイライラ気味の奥さんにもしっかりと連絡。「仕事で今日は帰れなくなった」と。

 そしてゆっくり、秘密の「息抜き」を楽しむのだ。

ネクタイもシャツもくつしたもパンツも 社名も役職も帰社予定もぜんぶぜんぶ脱ぎ捨てて ありのままの俺になるの

 越後にとって温泉とは誰にも邪魔されない「自由」の空間なのだ。誰もが背負っている「社会のしがらみ」を解き放ち、自分らしく居させてくれる場所。明日への活力をもらえる場所。だからこそ、越後は明日から「サラリーマンの自分」「父親としての自分」という役をしっかりと演じられるのだろう。

 その他の5編も、様々な事情を抱えた、ごく平凡な人たちが主人公として登場する。幸せな終わり方ばかりではない。「すっきりしない」と感じる短編もある。けれど、その複雑さが、どうしてか、疲れた心を軽くしてくれるのだ。

文=雨野裾