精神科・名越医師が語る震災後の「祈り」とは

社会

公開日:2011/9/5

いまの日本で私たちがすべきことは何なのか、多くの人が真剣に考え続けている。 震災後、誰かのために何かのために祈りを捧げる人もいるのではないだろうか。
  
そんな中、テレビや雑誌など数多くのメディアで活躍する精神科医・名越康文さんは、本誌特集(「東日本大震災 無力感を祈りに変えて」鼎談:内田樹×名越康文×橋口いくよ)の中で、震災後の人々の、こころの問題と祈りの持つ力について語っている。
  
「こころの世界とは“時間・空間に縛られない世界”なんですよね。例えば人によっては“23年前にいじめられた”っていうその時にとどまるわけですよ。今が2011年であっても、その人の心は1988年のそのいじめられた日でとどまっている。人によっては、いつまでも10歳でとどまる、5歳でとどまる。あるいは反対に先を心配して、70歳のときに年金がもらえるだろうかどうしよう……というような。どこを見ても、その人にとって最悪の所に縛りつけられてしまう。そこのとらわれっていうか、引き離しを、すべすべにもっと自由に、より無重力にしてくれるのが祈りとか瞑想かなと思う」(名越さん)
  
ネガティブな思いに囚われて、こころの身動きがとれなくなってしまったとき、人はつい神頼みをしたくなるもの。しかし名越さんはこう語る。
  
「祈るときの心持ちは本当に大切。“祈ることしかできませんから祈ります”っていうネガティブな祈りは効かないんですよ。すごくポジティブなもののようにして捉えてやっと効きだす」
  
いま必要なのは無力感からの祈りではなく、再びその身に力を宿すための祈り。
  
現在公開中のWEBダ・ヴィンチ(http://web-davinci.jp/)では、鼎談の続きとして、祈りの裏側について、語っているのでこちらも。
  
(ダ・ヴィンチ8月号 特集「東日本大震災 無力感を祈りに変えて」より)