サラリーマンの夢も哀しみも受けとめるネオ時代小説はコレだ!

文芸・カルチャー

2011/9/5

 戦国時代、山深い信濃の地で数々の武勲をあげた孤高の“合戦屋”=石堂一徹。 その熾烈な生き様を描き、多くの小説ファンを魅了した北沢秋の『哄う(わらう)合戦屋』(双葉社)に待望の第2弾が登場した。  
  
『奔る(はしる)合戦屋』(同)は、前作から遡ること16年、一徹の青春時代から始まる。  
  
 「前作の一徹が“陰”だとすれば、今回はいわば“陽”の部分を強く出しています」と北沢さん。前作で描かれたような完璧なスーパーマンではない、普通に泣いたり笑ったりする生身の人間としての一徹。それが、様々な事件や出来事によって徐々に、前作の、心に厚い鎧をまとったような愁いを帯びた人格に変化していってしまうところに、本作の面白さと切なさがある。  
  
 「あまりにも才が突出しているゆえに、周囲から孤立し、主君からもそねまれていく。つまり一徹という男は、僕がサラリーマン生活の中で出会った、才能はあるんだけれど人間関係が上手く作れなくて自滅していった“勿体ない異能の男達”の投影でもあるんですよね。また、主君である村上義清という男も、世間の評価では、むしろいいリーダーなんです。ただ、将来のビジョンはないから、武田信虎のような遠大なビジョンを持った相手には、たとえ戦力は同じでも、結局、負けてしまう。そこが一徹には非常にジレンマだし、後に非常な悲劇を生むことにもつながっていくというわけなんですね」  
  
 異能ゆえに孤立し、夢破れる男。将来のビジョンなきゆえに滅びの道を辿るリーダー。そこには、現代のサラリーマン社会にも通じる人間ドラマが、濃縮して描かれている。でも、北沢さん自身は、それをたんなる“悲劇”とは捉えない。  
  
 「戦国時代というのは、ある意味、高度成長期にも通じている。国が沸騰してて、いろんな人がそれぞれの夢を描いて邁進していた時代だったのではないかな、と」  
  
 だから、たとえ最終的には悲劇で終わったとしても、この一徹の物語は、夏の太陽のように鮮やかで、心地よいのである。  
  
 「現代社会では、なかなか生身=本音のままでは生きられない。ところが時代を遡ると、思い切った人物造型や描写ができる。そういうところが時代小説ならではの醍醐味でもあると思うし、本作も、少しでもそこを、自由で妥協しない本音の生きざまを楽しんでいただけたなら光栄です」  
  
(ダ・ヴィンチ8月号 今月のブックマーク EXより)