ナイキの販売方針転換で、ブームは終焉。スニーカー1足に3時間並んだ情熱とはなんだったのか?

社会

2016/5/19


『東京スニーカー史(立東舎)』(小澤匡行/リットーミュージック)

 原宿のスニーカーショップに並ぶ、黄色と赤の〈リーボック インスタポンプフューリー〉と、グラデーションカラーの〈ナイキ エア マックス 95〉。誕生から20周年を記念して、2014年と2015年に相次いで復刻された名品スニーカーたちは、今もショーウィンドーの一番目立つ場所に陳列されている。

 1990年代半ばに、日本中で巻き起こった「スニーカーブーム」を象徴するのが、この2足だった。スニーカーを求めて長蛇の列ができ、店頭に並べば瞬時に完売。あまりの人気に目をつけた転売業者が出現し、並行輸入品や転売品の値段はどこまでも高騰。さらに、履いている人からスニーカーを強奪する「エアマックス狩り」という犯罪も頻発し、社会問題化した。ネットが一般に普及する前の時代のことだ。雑誌や新聞、テレビも巻き込んだあの熱狂とは、何だったのだろうか。

 1960年代のアイビーブームやジョギングブーム、ストリートカルチャーの流れを追いながら、メーカー、小売店、藤原ヒロシなどメディア関係者の証言を通して、スニーカーの歴史をひもといた 1冊が『東京スニーカー史(立東舎)』(小澤匡行/リットーミュージック)だ。

 スポーツのためのフットウェアだったスニーカーは、パフォーマンス向上のため、機能が劇的に進化を遂げる。さらにジョギングブーム、エアロビブーム、アメリカでのバスケットボール人気と並行して、ヒップホップカルチャーのスタイルアイコンとして、単なるスポーツシューズから、ファッション的な要素を強めていく。そして1990年代半ば〈ナイキ エア ジョーダン〉を始めとするスニーカーが日本中で人気を集め、〈エア マックス 95〉の発売でピークを迎える。

〈エア マックス 95〉の発売以降、運送業社がスウッシュのマークが入った段ボールをトラックから下ろした瞬間に、店の前に並んでいたお客さんが群がってしまうんです。<中略>何度もナイキジャパンと議論しました。大きなエンジンがついているレースカーをドライバーが操作できないのと同じ状況ではないかと。矢治宏幸・スポーツプロショップ「B&D」

 在庫を求めて、ヨルダンやパナマなど世界中で宝探しをするバイヤーも出現。当時のファッションリーダーである木村拓哉が雑誌で履き、日本経済新聞で記事になり、お茶の間にも存在が知れ渡った頃、価格は1足30万円以上に高騰、行列に並んでやっと手にいれたスニーカーもエアマックス狩りで奪われるなど、犯罪や詐欺が横行し、徐々にスニーカーマニアたちが離れた。そしてナイキ社が販売方針を転換し、ブームは終焉を迎える。

 本書では、俳優の佐藤隆太がその時代を、こう振り返る。

この時代を経験できて良かったです。友達と『あそこのお店にあるらしいよ』と情報を共有しあって一緒に買いに行ったり、あそこのナイキショップなら並びが少ないかも、とか予想して夜通しで並んだり。あのころは買うことができた一足一足に、自分なりのストーリーがちゃんとあったんです。

 スニーカーブームは、様々な要素が複合して起こった 操縦不可能なお祭り騒ぎだった。ネットやSNSが普及し、あらゆる騒動があっという間に消化されてしまう現代、また同じような一大ブームは起こりう るのだろうか。

文=松田美保