「偏見」ってなんだろう? 三千人に一人、鬼がいる世界――。「鬼」という存在を通して描く人間の弱さと強さ

マンガ

公開日:2016/5/31


『鬼さん、どちら』(有永イネ/小学館)

 本書はごく平凡な高校生の日常を描いている。ただ一つ違うことは、彼女の頭には二本のツノが生えていることだけだ。

 三千人に一人、「鬼」がいる世界。正確には「先天性頭部突起症」という病気なのだが、ツノの生えている人々には様々な偏見がつきまとう。そんな日本を舞台に、日常を描いているのが『鬼さん、どちら』(有永イネ/小学館)だ。

 女子高生の崎みちるは、頭にツノが生えている。そのことで、周囲からは異常なまでに気を遣われている。「鬼」は身体が弱いとされ、体育の時間は木陰で休むことしかできない。重たい物を運ぶのも身体に悪いと危惧され、ゴミ捨てに行く「くじ引き」さえ参加させてもらえない。「鬼」の人たちへの配慮は、学校でしっかりと教わる。社会も「鬼」の人たちがより暮らしやすいようにと、支援するボランティア団体もある。差別、偏見をなくそうという動きが高まれば高まるほど、みちるは不満だった。

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「鬼」だからと気を遣われる。特別扱いされる。それはある意味「差別」なのではないだろうか……。

 そんなみちると出会ったのが、クラスでもムードメーカーのゆいこだ。ゆいこは明るく、成績優秀。裕福な家庭で育ち、他校に彼氏もいる。幸せを具現化したかのような女の子だ。本人も天真爛漫で、いつも笑顔だった。

 ゆいこは、みちるだけ「特別扱い」されることを不思議に思っていた。体育の100メートル走に誘い、一緒に走るが、「何かあったらどうするの」と先生から怒られてしまう。「みんながあなたみたいなお家ってわけじゃないのよ」と。みちるの両親は早くに亡くなり、今は叔父の家で暮らしている。

 みちるとゆいこは真逆の存在だ。ツノが生えて、絶えず偏見にさらされ、親しい友達も両親もいないみちる。一方ゆいこは、みちるの持っていないものを、当たり前のように手にしている。

 けれど、「いっこだけたりない」とゆいこは思っていた。なんの悩みもなさそうなお気楽女子のゆいこにも、悩みや、つらいことがあったのだ。けれど、その気持ちをずっと抑えてきた。「恵まれすぎてて、いつも空気読めなくて、こんなの崎さんと比べたら全然なの」と言うゆいこに、みちるは「あんたのが恵まれてるとか、私と比べて大したことないとか……順番つけんな」と叱咤する。

「鬼」だから、「家族」がいないからと、「不幸」だと思っているのは周囲の方だ。そこにも優しいフリをした「偏見」が生まれている。みちるに勇気づけられたゆいこは、本心を吐露する。「ずっとツノがあったらいいなって思ってたの。あたしみたいな人は苦しいって言っちゃいけないってずっと思ってたの」。何でも持っているゆいこが唯一欲しかったものは、「ツノ」だった。「つらいと言える権利」「周囲から『かわいそう』だと思われる資格」が欲しかったのだ。

 この物語は「鬼」という存在を通して、人間の弱さと強さを描き、「偏見ってなんだろう」「良かれと思ってやっていることが、相手にとっては差別に思えているのではないだろうか」と色々なことを考えさせてくれる。

 みちるとゆいこの話以外にも、「突起症だから」という理由で天才少年の扱いを受けたことに不満を持つチェロ弾きの真央(まなか)が、音楽の楽しさを知り、一度手放した楽器を再び手にする話や、「鬼」を毛嫌いする、みちるの担任教師、端場(はしば)のストーリーなどが描かれている。

 どのお話も読みごたえたっぷり。シリアスなテーマを扱っていながらも、ギャグちっくな展開もあるため、小難しい印象も受けない。最終話のみちるとゆいこの漫才シーンは笑えるし、一方で優しい偏見にさらされているみちるの言葉にはハッと胸を突かれる。

 2016年に入ってから様々なマンガを読んだが、個人的に上半期で一番面白いマンガだった。

文=雨野裾