女性もセックスがお盛ん! ペリーも激怒したエロすぎる日本人のふしだら歴史

文芸・カルチャー

2016/6/7


『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』(下川耿史/幻冬舎)

間違いなく学校では教えてくれない、そして試験にも出ない日本史である。しかし日本人として、知っておくべき日本史。それが『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話(幻冬舎新書)』(下川耿史/幻冬舎)だ。

本書は、古くは日本書紀・古事記にみる神代の時代より昭和初期に至るまでの、日本人のセックス観や性文化について、様々な文献から考証したエロ通史なのである。まあ、驚きの連続なのである。

日本人というと、未だに映画やビデオにはモザイク処理が入るほど、性に関して閉鎖的な国民性というイメージがある。また、例えばセックスをした相手の数を誇らしげに明かすことなども、特に女性においてはタブー視されがちだ。

ではこのセックスや性に対してシャイな日本人像というのは、古来よりの民族的遺伝子のなせる業なのかというと、本書を読む限り、どうもそうではなさそうなのだ。結論から言って、日本人は太古の昔より、セックスや性に対してものすごくオープンマインドな民族だった。

どれほどにオープンマインドかといえば、例えばである。1853年に来日したペリー提督を激怒させたほどに、オープンだったのである。

(日本の)人々は皆非常に礼儀正しく控えめである。しかし驚くべき習慣を持っている。ある公衆浴場での光景だが、男女が無分別に入り乱れて、互いに気にしないでいる…(後略)

これはペリー提督が自国に提出した報告書に記された文章だそうだが、ペリーはほかにも、当時の日本に氾濫していたエロ本に対しても「人が汚らわしく堕落したことを示す恥ずべき烙印である」と記したという。

今でこそ西洋にはヌーディストビーチといった文化があり、それは逆に現代の日本ではおそらく実現のかなわぬ文化だ。しかし日本には、太古の昔より、混浴文化があったことを本書は指摘している。そして、なんと鎌倉時代の温泉には、温泉客の性的サービスも含むお相手をする「湯女」(ゆな)なる「新たなサービスガール」が登場したこと、また、日も落ちて暗くなった公衆浴場は性の社交場となった歴史も、本書は教えてくれるのである。

このように、本書には紹介したいエピソードがてんこ盛りなのだが、もうひとつだけ「日本人女性の伝統的なセックス観」にテーマを絞って具体例を記しておこう。

歴史における日本人女性には、大和撫子という言葉が象徴するように、「控え目、一途」というイメージがある。しかし本書によれば、万葉集をひもとく だけでも、その時代(飛鳥、奈良時代)の女性がセックスに積極的だったことがわかるという。

例えば当時は、男性が夜の闇にまぎれて女性の寝床を訪問する「夜這い」は文化だった。同時に、女性が男性にいつでも来てねと誘いをかける「妻問い」という文化もあったそうだ。ちなみに本書によれば、夜這い文化の発祥は 、大黒様(大国主命)なのだそうだ。

また、奈良時代以降「歌垣」という集まった男女が歌を詠みあった後にフリーセックスを行う、今風にいえば出会い系パーティー(全国各地で開催された)が盛んだった。そこにも、人妻も含め(なんと既婚者もOKだった)女性たちは積極的に参加した。

さらに平安時代の鵜坂社(現在の富山市にある鵜坂神社)には、「尻叩き祭り」というイベントがあったそうだ。このお祭りでは、男性経験の数だけ女性が榊(さかき)の枝でお尻を叩かれるのだが、皆決して過少報告はせず、著者は「多くの男を経験することは、当時の女性にとって勲章だった」と記している。

ほかにも本書には、遊女の歴史などが詳細に記されており、それを読む限り古来日本人女性は、セックスや性に対してシャイというよりはオープンな遺伝子が眠っていると思わせるような歴史があるのである。

詳細は省くが、空海や豊臣秀吉などのエロに対する貢献度の高さを本書で読むと、歴史上の人物に対する見方も大きく変わるといった、そんな面白さも本書にはある。そして、秘具(大人のおもちゃ)の歴史(これが意外に古い)や、盆踊りのいにしえの姿など、様々な切り口で本書は“とってもエロかった日本人”を思い出させてくれるのだ。

セックス・性に対して閉鎖的になったのは、近代化の影響だと本書は指摘する。少子化対策として日本人はこの際、その遺伝子に眠るエロさをもっと覚醒させてみるというのも、もしかするとアリなのか? そんなことをふと考える一冊である。

文=ソラアキラ