「ワカメちゃん」がパリにいるって本当ですか? 日本からパリに渡った女性が綴った30年

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/15


『ワカメちゃんがパリに住み続ける理由』(長谷川たかこ/ベストセラーズ)

「ワカメちゃんがパリに住んでるってどういうこと?」──まあ普通はそう思う。ワカメちゃんとは『サザエさん』に登場する女の子である。『サザエさん』は説明も不要だとは思うが、現在テレビ放送されているアニメ番組で最長寿を誇る国民的アニメだ。そしてその「ワカメちゃん」にはモデルがいた。その人物こそが『ワカメちゃんがパリに住み続ける理由』(長谷川たかこ/ベストセラーズ)の著者・長谷川たかこ氏なのである。

つまりパリに住み続けているのは、長谷川たかこ氏ということ。なぜ長谷川家の末っ子である洋子氏の娘として生まれた著者が、今は遠くパリに暮らしているのか。きっかけはやはり、伯母の町子氏にあったという。町子氏は生涯結婚することなく自身に子がいなかったため、姪を溺愛していたと聞く。それゆえか、たかこ氏は13歳の時、伯母の取材旅行でヨーロッパへ同行。ロンドンやローマなどの都市を巡ったが、一番印象に残ったのがパリであり、その状況を「私はパリに恋したわけだ」と語っている。

そこから翻訳の仏文学を読むようになり、いずれ原文で読みたいという欲求が。最終的には上智大学フランス文学科に入学するのだから、その情熱は大したものである。ただ著者も、最初からフランスに住むことを目的に行動していたわけではないようだ。実際、23歳の時、日本で結婚している。しかし不妊症と診断されるなどさまざまな状況の中、結局離婚。その後、多くの反対を押し切ってフランスへ渡ったのだ。しかし不妊症と診断されたはずが、現在の夫との間に子供をもうけている。本人が「病は気から」というように、よほどフランスの水が合っていたのだろうか。そしてフランスで30年生活してきた氏は「失ったものは大きい。それは今でもチクチクと心を刺すけど、一度きりの私の人生。後悔はしていない」とその心境を明かしている。

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私が最近のフランスで抱くイメージのひとつに「テロ」がある。特に言論に携わる人間として2015年1月に発生した「シャルリー・エブド」襲撃事件は衝撃だった。週刊誌に掲載されたムハンマドの風刺画に反発した武装集団が「シャルリー・エブド」本社を襲撃、コラム執筆者などを殺害したというのが事件の概要。無論この件は本書でも取り上げているのだが、その中で興味深い話があった。事件後、「私はシャルリー」の文字を掲げた映像がメディアで流れたが、私はそれを「シャルリー・エブド」へのエールだと思っていた。しかし、たかこ氏によれば、これは「シャルリーへの攻撃を通して、私が攻撃された」という意味なのだという。要はシャルリーのやりかたには賛同していないが、シャルリーへの攻撃を通して私の言論の自由が脅かされた、ということなのである。なるほど、こういう部分が映像だけでは分からない、現地を知るからこそ分かる感覚なのかもしれない。

では長年フランスで暮らしてきた著者にとって、日本はどういった立ち位置なのか。本人曰く「自分はもう日本の日本人とは違うし、フランスでは永久に移民」だという。本書では子供たちを伴って日本へ戻ったエピソードが語られているが、それは里帰りというよりは観光旅行の趣が強い。だが息子たちとのやりとりはドタバタして非常にユニークで、どことなく『サザエさん』の家族模様を思わせるあたり、さすがモデルということか。

最後に、タイトルには「ワカメちゃん」の名が冠してあるが、実際に『サザエさん』のエピソードはなく、長谷川家関連の話題もごく少ない。なので「ワカメちゃん」に引っ張られてしまうと若干、ミスリードを誘発してしまう可能性はある。しかしフランス・パリの現在が実に生き生きと描写され、エッセイとしては非常に楽しめた。今の生活に息苦しさを覚えているなら、思い切って新たな世界に飛び込んでみる。作者の生きかたは、そういう選択肢もありなのではないかと思わせてくれるのである。

文=木谷誠