「ありがとう」がデフレ化!? 安易に使いまくる日本語を考える―『不適切な日本語』とは?

社会

公開日:2016/6/21


『不適切な日本語』(梶原しげる/新潮社)

「ありがとう」は魔法の言葉。学校ではもちろん、会社に入るとさらに、客に対して、取引先に対して、また社内においても、何かにつけて「ありがとうございます」「ありがとうございました」と伝えるように教育された。「ありがとう」は人間関係を円滑にし、社会を明るくする言葉なのだからと。

 だが、20年のアナウンサー経験を経て現在はフリーとして活躍する梶原しげる氏は、著書『不適切な日本語』(新潮社)の中で、「ありがとうございます」のシャワーに戸惑ったことを告白する。

「お電話ありがとうございます。○株式会社◎担当の△でございます」(中略)
「あのー、モニター画面がフリーズしちゃったみたいで、マウスをちゃかちゃかやっても、うんともすんともいわないんですが」(中略)
「ありがとうございます! では、キーボードの上のほうに☆というマークは見えますでしょうか」
「☆ですか? あ、ありました! ありました!!」(中略)
「ありがとうございます。そちらを押して画面が変わりますでしょうか?」

 こんな会話を繰り広げた末、見事パソコンのモニターは復活したそうだ。氏はオペレーターの非の打ちどころのない対応にとても感謝している。だが、「ありがとうございます」の連発には「感謝の言葉にふさわしい良きユーザー、物わかりのよい客にならなければ」と焦りやプレッシャーを感じてしまったらしい。この「ありがとうございます」はクレーマーと化す人を予防しつつ相づち程度に発したものだろうと理解されているが、“「ありがとう」のデフレ化”として疑問を呈している。「『ありがとうございます』という感謝の言葉は、使うべき所できっちり使うからこそ『効き目』が出るのだと思う」と述べる。

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 せっかくポジティブな言葉を言われているのにいちゃもんをつけているように思われるかもしれないが、氏は決して「正しい言葉を使おう」などと主張しているわけではない。むしろ、言論の自由に関わる「言葉狩り」には反対の意向を示している。自身がひねくれているだけと自嘲しつつ、プロとして言葉の使い方がとにかく気になるらしい。本書は、氏が疑問に思った言葉遣いをあれこれ取り上げ、日本語仲間たちと居酒屋で話し合ってみたり、専門家に問い合わせてみたり、ときにはその言葉に関わるお店や公共施設にまで押しかけて質問したり、ただひたすら言葉の考察を楽しんでいるものである。だから、肩の力を抜いて読めるし、それでいて目からウロコがべりべりと落ちる。いかに自分が日本語に鈍感で、安易に言葉を使っているかを思い知らされる。

 さて、熊本地震から2ヵ月ほど経つが、震災報道でNHKが使わない言葉があるらしい。それは、「被災者」「がれき」「壊滅的」。いずれも震災が起こった際にはテレビや新聞などで何度も繰り返されてきた言葉である。決して間違った言葉ではない。ではなぜNHKはこれらの言葉を避けるのか。「被災者」は、実態はさまざまなのに「被災者」という「単一なイメージ」を排するため。「がれき」は、「値打ちのないもの」について表現する言葉であり、目の前で苦しむ人たちにとって“宝”であったものをそうは呼べないから。「壊滅的」は第三者な響きでその地域に寄り添っておらず、また復興の見込みがないとの印象を与えてしまうとのこと。実は、いずれも取材者の自発的なもので、マニュアル化されているわけではない。この“共感的配慮”に氏は心を打たれたという。

 言葉遣いがとかく問題視される昨今だが(いや、いつの時代もかもしれない…)、文法的な間違いはよく指摘され、意識にのぼりやすい。だが、相手の気持ちを考えた上で、その表現が適切かどうかは、実はそれほど考えてこられなかったように思う。間違いではないはずの使い古された言い回しや慣用句も、もしかすると場合によっては正しいとは言えない可能性がありそうだ。

 ということは、シーンによって言葉の遣い方が適切かどうかおそらく賛否両論巻き起こるだろう。その人が持つ背景や考え方で、捉え方が異なるのは当然だからだ。でも、一度立ち止まって考えることは、“美しい日本語”とやらのため、また真に円滑な人間関係を築くために悪くはないかもしれない。

文=林らいみ