完走した敗者たちはなにを得るのか?『敗者たちのツール・ド・フランス』

スポーツ

公開日:2016/7/1

一九五〇年代初期、パリの街角。期待に胸をふくらませ、揃って同じ方向を向く少年たち。通りに車一台通るわけでもないのに。そこを通りがかったサミュエル・ベケットが、何をしているのかと少年たちに訊く。彼らは言う、「ゴドーを待っている」と。

 ベケットのもっとも有名な作品、『ゴドーを待ちながら』で名前だけは頻繁に挙がるのに一度も舞台には姿を現さない人物ゴドーは、ロードレースにまつわるこんな逸話がきっかけで誕生したと、ベケット愛好家たちに認められているそうだ。

 今年も暑い季節がやってきた。7月はロードレースファンにとって、もっとも熱い季節。ロードレース界最大のイベント、そう、ツール・ド・フランスが始まるのだ。2016年大会のコースは、世界遺産モン・サン・ミシェルをスタートし、パリのシャンゼリゼに到着する、全21ステージ総距離3519kmと発表されている。大会は103回を数える、世紀を超えたレースだ。

『敗者たちのツール・ド・フランス』(マックス・レオナルド:著、安達眞弓:訳/辰巳出版)は、そんな100年以上にわたるツール・ド・フランスの歴史において、特異な地位を占め続けてきた称号について取り上げている。その名も「ランタン・ルージュ」(赤いランタンの意)。完走した選手の中でもっともタイムが遅かった選手、つまり最下位の選手に与えられる称号だ。

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 本書ではランタン・ルージュに焦点を当てながら、ツールの歴史も同時にひもといて いく。変速ギアのなかった時代、北アフリカのチームやイギリスチームが初参戦したツール、そして著者自身が走る雨の中の1ステージ…。100年以上続くツール・ド・フランスの歴史上でも、これまであまり注目されて こなかった選手やエピソードが、ランタン・ルージュの赤い光によって輝くさまは、読んでいて非常に胸が躍る体験だといえるだろう。

 肝心のランタン・ルージュに話を戻そう。これはレース主催者が公式に表彰する称号ではない。そのような賞を設けることで、フェアプレーの精神が失われることを恐れたためだ。実際、ランタン・ルージュの認知度が高まるにつれて、わざと最下位になろうとする選手も登場している。本書で登場する何人かの選手は、意図的に最下位を目指したことを認めている。もちろん一生懸命走った結果が、最下位だった選手もいる。

 ランタン・ルージュの捉え方も、選手によってさまざまだ。愉快に感じる選手もいれば、一儲けしようとパフォーマンスに走る選手もいる。アシスト役でチームに貢献した証として 粛々と受け止める選手もいれば、勝つために何度となくアタックを仕掛けた結果として 、誇りに思う選手もいる。総合優勝の証、マイヨ・ジョーヌを目指す理由はみな同じだ。だがランタン・ルージュには、獲得した選手と同じ数だけ理由がある。

 残念ながら(?)本書には教訓めいた話はない。最後まで走りきることに意義があるだとか、一生懸命走る姿はそれだけで美しいとか、そんな言葉とは無縁の場所をランタン・ルージュの選手たちは走っている。彼らは自分に与えられた仕事を全うし、挑戦し、時 にはズルもして、もっとも遅い選手となった。ツール・ド・フランスの表舞台で活躍するスター選手たちの超人的な姿とは真逆の、人間臭さ。世界一過酷なレースのさなかに見せるそんな弱さにこそ、凡人である僕らは惹かれるのではないだろうか。

『ゴドーを待ちながら』では、いつまで待ってもゴドーは来ない。待ち続ける感覚は、永遠のようにも思える。だがランタン・ルージュの選手は、ゴール地点で待っていればいつか必ず到着する。もっとも遅く走ったからこそ、見えてくる景色がある。ランタン・ルージュ、急ぎ足に過ぎ去る集団の中で、遅く走ることを覚えた選手だけを照らしてくれる赤い光。その光は時に、人生という長いレースを走る僕らの背中も照らしてくれるだろう。どんなものにも終わりはある。だからこそ、ゆっくり走ろうじゃないか。

文=A.Nancy