お金がほしいからと車の下に潜り込み自分を引いてくれと訴える少年…ファインダー越しに見つめたシリア難民たちの心の叫び

海外

2016/7/4


『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(安田菜津紀/新潮社)

 シリアという国にどんな印象を持っているだろうか。内戦? IS? テロ? 爆撃映像? 治安の悪さや悲しいニュースばかりが印象付いているシリアの町から生きたいという想いのためだけに故郷を捨てて飛び出した人たちがいる。難民だ。日々流れるニュースから耳に入ってくる“難民”という言葉。しかし難民を身近に感じ、自分たちの問題としてとらえている人はまだ日本には少ないかもしれない。世界的課題でありながら日本では受け入れ体制が十分ではなく、申請者数に対する認定数が非常に少ないため生活の中で身近に難民を感じる機会が少ないからだ。

 そんな明確な印象を持ちきれない“シリア”や“難民”についてもっと身近な存在として感じることができる、若き女性フォトジャーナリストによる1冊の本がある。シリア難民として生きる人々の心に寄り添い現場で直に接した彼女ならではの写真と言葉で綴った『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(安田菜津紀/新潮社)だ。

 戦場の最前線で現地の様子をリポートするジャーナリストがいるなら、その最前線の外側で生き戦っている人たちについて伝える人間がいてもいいのではないか。最新の“ニュース”ではなくなってしまい伝えられる機会を失った今なお残る問題について取材がしたい。そんな思いから綴られた本書はシリアや難民たちの部分的な姿だけではないあらたな現状を知るひとつの貴重な機会となるだろう。

 表紙を開くと美しい街並みや楽しそうな人々の姿を撮った写真が続く。シリアが内戦に突入する以前の2008年に撮影された写真だ。内戦や爆撃という言葉をまったく思い浮かばせない写真を見て一度訪れてみたかったと感じる人もいるかもしれない。安田氏がある小学校で講演をした際に少女から言われた「こんな綺麗な場所、どうして壊しちゃうの?」というあまりにも的を射た質問には、安田氏自身が思わず言葉に詰まってしまったというが、 こんなにも美しい街並みをもっていた国がシリアなのである。

 難民キャンプ地内の学校には定員オーバーの教室で床に座り授業を受ける子供や出産間近まで教壇に立ち生き生きと教える教師がいる。自分たちだけなぜこんな目に遭わなければいけないのかとNGO職員に掴みかかる女性やお金がほしいからと車の下に潜り込み自分を引いてくれと訴える少年がいる。自分も家族を亡くしているにもかかわらずISに殺害された日本人ジャーナリストの死を悼み気遣いの声をかけるキャンプ地の人たちがいる。「もともと「難民」だった人はいない」と著者が述べているとおり普通の生活をし、普通の人生を歩んでいた人たちが拷問や身近な人の爆撃死という過酷な経験をし、厳しい現実と闘いながら生きるために懸命に前へ進んでいる。優しさを心に家族を想いながら生きている。これもシリア人なのだ。

 日本でも今なお災害により長年生活してきた我が家やふるさとに戻ることができない人々がたくさんいる。世界でもまた自然災害や紛争、食料危機などの影響を受けて自分たちではどうしようもできない人生の方向転換を強いられている人たちがいる。ある出来事が起こらなければ普通に普通の幸せをかみしめていたかもしれないたくさんの人たち。UNHCR(国連難民高等弁務官)のレポートによると2014年末時点で 移動を強いられた人は5950万人にも及ぶ。5950万人という数字は世界で24番目に大きな国ができるレベルというから驚きだ。

 2016年5月20日、日本政府は問題の深刻化するシリア難民について2017年から5年間で最大150人を留学生として受け入れるという支援策を表明した。難民を受け入れるということは簡単なことではない。生きる場所を失った多くの人たちを助けると同時に労働や治安などの面で懸念もあるからだ。

 人は無知であるとき未知なる者の来訪に恐れをなす。難民受け入れ問題になんとなく不安を感じているという人は、まず本書を読んでシリア難民のことを知ってほしい。知れば安心となるわけではない。しかし、遠い国の人たちの出来事をもっと身近に感じることができればシリア難民や難民問題に自分なりの正しい向き合い方ができるようになるだろう。ニュース映像の爆撃の中を逃げ惑うシリアの人々や新しい土地を求めて列をなす難民たちの“集団”の姿を見るのではなく、本書でひとりひとりの人生をのぞかせてもらうことでこの問題が同じ一人間が抱えている身近な問題であるとわたしたちは気付くことができるかもしれない。

文=Samon Chikako