日本人が抱える“3つの寂しさ”とは?稀代の劇作家が示す、価値観を転換すべき新しい日本のカタチ

社会

公開日:2016/8/16

『下り坂をそろそろと下る(講談社現代新書)』(講談社)

 人にとって最も堪え難い感情は「寂しさ」なのかもしれない。寂しさは様々な負の感情を誘発する。『スター・ウォーズ』の中に出てくる伝説のジェダイ ヨーダもアナキンに向かって「寂しさは怒りを生み、怒りは憎しみを生み、憎しみは苦痛を生む」と言っていたが、まさにアナキンは寂しさに耐えられず暗黒面に落ちダースベイダーと名を変え悪の司令官と化した。人は寂しさに対して脆くそのため容易にモラルを外れた道を選んでしまうものだ。

日本人が抱える“3つの寂しさ”

 現代口語演劇という演劇界の新たな地平を拓いた日本を代表する劇作家/演出家・平田オリザの新刊『下り坂をそろそろと下る(講談社現代新書)』(講談社)では現在の日本人が抱いている本質的な感情は「寂しさ」であるとして、その寂しさの根拠を3つに分け示している。

1:日本はすでに工業立国ではない。
2:この国は成長せず、長い後退戦を戦っていかなくてはならない。
3:日本という国はもはやアジア唯一の先進国ではない。

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 経済や人口の推移と世界における日本の相対的な立ち位置をひいき目なしで見れば紛れもない事実なのだろう。とはいえ…、日本人としては何とも目を背けたくなる事柄でもある。特に敗戦からの復興を経て更に成長の躍進を遂げた高度成長期を知る世代の方々にとっては信じたくないことだろう。しかし、これら日本人が抱える寂しさが別の形で表出され昨今の世情のきな臭さに通じていると平田氏は言う。

 日本の現状に対して私たちはどのように振る舞うべきか。平田氏は本書で過去の軌跡を辿るような成長型社会に躍起になるのではなく「成熟」や「持続可能な社会」に目を向け、成長とは逆の下り坂を下りていくべきだと説く。また大学教師として、アートマネージャーとして、劇作家/演出家として平田氏がコミットしてきた地方自治体の模範となるような成熟型ケースや福島やアジアの現状が記され、平田オリザと旅をするよう回り道をしながら今後の日本人のあり方が示されていく。

どうしたら人は動くのか、動かされるのか

 本書が他の日本論と一線を画しているのは劇作家/演出家らしい感情に則した人間の行動パターンを基に考察され語られている点であろう。「どうしたら人は動くのか/動かされるのか」ということを机上の論理ではなく行動をもってリアルに考察している。例えば、地方出身の若者がなぜ生まれ故郷に帰ってこないのかという理由について平田氏は「街がつまらないから」という単純明快な解を持ち、就職先よりも「おしゃれなカフェ」や「センスの良い文化施設」、「最先端の教育が受けられる学校」が大切であると唱える。

 事実、本書でも取り上げられる瀬戸内国際芸術祭が開かれる小豆島や、世界的アーティストが集まる城崎国際アートセンターを持つ豊岡市、先端的な学校教育に熱心な善通寺市などはカルチャーと教育が有機的に働き人口・経済どちらの観点からも大いに成功している。そして何と言っても読者に「こんな街なら住んでみたい」と思わせる魅力に満ちている。

 また、本書で随所に見受けられる司馬遼太郎の名著『坂の上の雲』の引用やパロディーも、雄弁な役割を果たしている。年配の読者層に配慮した語り口だと思われるが、日本人のプライドに触れるナーバスな題材であるにもかかわらず包容力に満ちた優しい読後感が味わえるのは、平田氏の言葉選びの巧みさと同時に司馬遼太郎の息吹が感じられるからだろう。

《まとめ》
夕暮れの下り坂から見える景色

 ところで、本書の前提にある「寂しさ」は《良かった頃の日本》のイメージが鮮明な世代ほど強く現れる感情だろう。しかし、今の時代を生きる若い世代にとっては「寂しさ」という感情と共にまた別の感情があるように感じる。それは「罪の意識」だ。

 戦後、瓦礫の上で日本を良くしようと青写真を仰ぎ成長の坂を駆け上った勇姿は両親や祖父母を見ていればうかがい知ることができる。だからこそ、若い世代が抱く感情は自分たちの世代で先人が登った坂をなし崩し的に下りていることへの罪悪感もあるのではないかと思う。本書はそんな若い世代の罪の意識への免罪符にもなっている。

競争や排除の論理から抜け出し、寛容と包摂の社会へ。道のりは長く厳しいが、私はこれ以外に、この下り坂を、ゆっくりと下っていく方法はないと思う。

 登山では登りより下りの方が難儀だと言われている。引力に導かれながら下りるのは楽なことのようにも感じるが、スピードが出過ぎないように踏ん張りながら下りるのは思いの外シンドイのだ。寂しさを抱えるヒト、罪の意識を抱えるヒト。国境を越えお互いの価値を認め合いながら手を取り合ってゆっくりゆっくり下り坂を行く。平田が示すような成熟した社会へ向けて歩むことが下り坂を下りることなら、下り坂も決して悪くない。本書は坂の上の青空だけでなく下り坂の夕暮れも美しいのだと日本人の側に立って親身に示す新しい日本論である。

文=大宮ガスト