「高次脳機能障害」によって記憶を失った音楽家GOMAが、代わりに得た奇跡とは?

音楽

公開日:2016/9/13


 2011年6月4日、音楽フェス「頂」のステージ上で、感涙にむせぶミュージシャンのGOMA。数年前に動画サイトでその様子を観た筆者には、思い至れなかったその涙の深い理由を教えてくれたのが、8月に発売された『失った記憶 ひかりはじめた僕の世界』(GOMA/中央法規出版)だ。

 著者のGOMA氏は、オーストラリア先住民アボリジニの民族楽器ディジュリドゥの奏者として、多くのファンを持つ。そのGOMA氏が、まさに青天の霹靂(へきれき)に見舞われたのは2009年11月26日のこと。首都高を走行中、後続車に追突されたのだ。

僕は真っ白な世界をふわふわと上昇していた。ひたすら心地よい浮遊感。雲に乗ってどこまでも行けるような感じだった。本書より引用

 事故直後の至福体験もつかの間、著者を待ち受けていたのは、脳がダメージを受けたことによる「高次脳機能障害」という病との、長きにわたる闘いの日々。現在や過去の記憶を失う「記憶障害」、怒りや悲しみなどの感情を抑えられなくなる「感情コントロール障害」などの症状が、待ったなしで著者に襲いかかる。

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 いったい何を覚えていて、何を忘れてしまっているのか、克明に記されるその様子をハラハラしながら読む。家族のことは忘れてはいないものの、分身ともいえるディジュリドゥはどうなのか、恐る恐る吹いてみた時の様子が次のように示されている。

考え込んでしまうと、なかなか思うように吹けないが、思考をはずして、身体が動きたいように解放してあげると、勝手に音が出始めた。身体は何か覚えている。その何かを信じていきたいと思う。本書「2010年5月18日の日記」より引用

 こうして始まった“第二の人生”(著者はこう表現する)。本書は、著者と奥さん(純恵さん)の当時(退院後の2010年1月1日から2012年11月23日までの約3年の間)の日記を本文とすることで、一家が体験する苦悩、葛藤、悲喜交々、そして「高次脳機能障害」の病状をリアルに浮き彫りにする。

自分の記憶に残らないなら、みんなの記憶に残る生き方をしよう。
精一杯、今を楽しむ。いい時間を、いい仲間と過ごすこと。
これが、僕の未来だ。2010年3月12日

この重圧から、解放されたい。
すべて投げ出して、過去の僕を知らない世界へ飛び出したい。
2011年7月15日

 治療法がない病だけに、著者のメンタルも揺れ動く。そんな著者を癒すのは、家族、バンドメンバー、友人、そして徐々に再開したアーティスト活動。じつはこの事故、著者から奪うばかりではなく、奇跡とも呼べるギフトを著者に授ける。それが、突然に開花した絵の才能だ。

ひたすら絵を描く。無になるために。2010年3月2日

意識が戻って家に帰ってきた時、自分は画家だと思っていたみたい。
笑ける!2010年3月3日

 不思議なことに、絵とは無縁だった(本人談)著者が、事故から約9か月後の2010年8月に初の個展を開催する。点描と色のグラデーションを基調とするアボリジニアートそのものである著者の作品は、とてもにわか画家の手によるものとは思えない完成度の高さだ。本書には著者の絵が16点採録され、見開きの絵を存分に味わえるように糸閉じ製本されているあたりにも、著者の絵に対する思い入れの深さが感じられる。

 2016年現在、「今でもパソコンなどの外部装置に残った記憶を頼りに生きている」と記す著者。しかし、家族、バンドメンバー、ファンなどの人々との深まった絆や、新たに得た絵の才能など、多くの得難い奇跡にも恵まれた著者。冒頭にあげた復活ライブでの涙は、それが多くの人たちの幾重にも重なった祈りの結晶だったからこそ、とめどなくあふれ出てきたのに違いない。

 ゴールの見えない病を抱えつつも、著者の第二の人生はいま、ひかりはじめている──。

文=町田光