“喪失”を通して“光”の眩しさを教えてくれる道尾秀介の連作小説『鏡の花』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/13


『鏡の花』(道尾秀介/集英社)

 失ってから初めて、その大切さに気づく。よく使われる言い回しだが、これは裏を返せば、自分では気がついていないだけで、何の変哲もないような毎日でも、実はかけがえのない大切なものと生きているのかもしれないということだ。

 道尾秀介の『鏡の花』は6つの世界を描く不思議な連作小説だ。第一章「やさしい風の道」では、小学2年生の章也が“あること”を確かめるため、姉と一緒に自分が生まれる前に家族が住んでいた家を訪ねていく。その家には妻に先立たれた瀬下という男が一人暮らしをしていた。瀬下に声をかけて家に入れてもらった章也は、そこに隠された自分の出生にまつわる“秘密”を明かそうとするのだが……。

 続く第二章「つめたい夏の針」は、翔子という女子高校生を視点人物とする一編。翔子はふとしたことがきっかけとなり、同じ高校に通う同級生・真奈美の弟で中学2年生の直弥と2人きりで会う仲になっていた。真奈美に直弥との関係を言いそびれたままになっていること、そして7年前に事故で死んだ弟の姿を直弥に重ねていることに微かな罪悪感を覚えている翔子。その胸の奥には弟が事故に遭う直前、「もしあの瞬間に戻れたら……」という思いが常にくすぶっていた。

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 第一章から第二章へと読み進めたところで、多くの人は少し戸惑うことになるだろう。第一章と第二章では明らかに同一の人物が登場しているのに、その関係性があり得ない形で大きく変わっているからだ。そして第三章「きえない花の声」では、18年前に夫を水死事故で亡くした女性がひとり息子と共にかつて家族3人で暮らした町を訪れる物語が描かれる。ここで『鏡の花』という作品の小説ならではの巧みな“仕掛け”が見えてくる。

 量子力学の「多世界解釈」という理論では、あらゆる分岐と選択の可能性ごとに無数の世界が並行的に存在しているという。『鏡の花』のそれぞれのエピソードは、「もし、この人が自分の人生から失われていたら……」という可能性の平行世界を描くものだ。第四章「たゆたう海の月」、第五章「かそけき星の影」と進むにつれて登場人物たちの“死”の可能性によってリンクした物語は拡大し、大切な人が欠落した人生の喪失感、「もし、あのときこうしていたら……」という叶えられない願いと後悔、やりきれない思いが読者の胸に突き刺さるように迫ってくる。

 そして、最終章「鏡の花」。舞台になるのは、江戸時代から鏡作りの伝統がある町の民宿。ここに泊まりにきた客たちと宿の一家の間で起きた出来事を描く物語だ。この章で深く重い闇に沈んでいた「もしもの世界」が描かれた誰もに、柔らかで穏やかでありながらも、世界を祝福するかのような“光”があてられる。その奇跡のような眩しさは、闇の暗さを知っているからこそのものだ。そして、美しく感動的なこのシーンは読者の心にも深く残ることだろう。道尾秀介が描いた“光”は、『鏡の花』を手に取って読んでいる読者のひとりひとりに向けられたものでもあるからだ。それは私たちが生きている何の変哲もない毎日、人生の今この瞬間を照らし出し、そこにかけがえのない輝きがあったことを気づかせてくれる。

文=橋富政彦