「遊び」が貧困連鎖をとめる? アジア初ノーベル経済学賞受賞者が目指す世界とは?

海外

公開日:2016/10/17

『インドから考える 子どもたちが微笑む世界へ』(アマルティア・セン:著、山形浩生:訳/NTT出版)

 アマルティア・セン は1933年インド生まれの経済学者だ。1998年にはアジア初のノーベル経済学賞を受賞している。『インドから考える 子どもたちが微笑む世界へ』(アマルティア・セン:著、山形浩生:訳/NTT出版)はエッセイ集で気楽に読めるものだが、鋭く本質をつく論点に感銘を受けた。さすがは経済学のみならず哲学や政治学、社会学にも影響を与えているといわれるセンだ。

 「世界を分かち合う――相互依存とグローバルな正義」というエッセイでは、経済のグローバル化における正義がテーマに据えられている。世界中の貧困者の経済的な苦境の逆転にグローバル化は貢献するが、グローバル化がよいものだとすべての人々が受け入れるわけではない。

 これに対しグローバル化推進者たちは、世界の貧困者は昔よりも豊かになっている、つまりグローバリゼーションから貧困者も便益を得ているのだからグローバル化は正しい、としばしば主張する。貧困者は、貧しくなっているのか豊かになっているのか?

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 センはこのように投げかけておいて、鮮やかに論点を修正する。「でも、これが尋ねるべき質問なのだろうか? 私は、絶対に違うと言いたい。貧困者がちょっとばかり豊かになっているからといって、(中略)公正な分け前を得ているということにはならない。」

 ここでの中心的な問題は、ある仕組みが万人にとって、まったく協力をしないよりはマシかということではなく、利得が公正に分配されているかという点につきる。協力に伴う分配の仕組みが不公正だという批判に対する返しとして、協力がない場合よりはみんな得をしてるじゃないかと指摘するだけでは不十分だ。

 たとえるなら、きわめて不平等で性差別的な家族の仕組みが不公正だと論じる時に、別に家族がまったくいない場合よりは女性のおかれている状況がまだいい方だ、などと示す必要はないのと同じである。論点はそういう部分ではない。

 グローバル化をめぐる論争の中で本当に問うべき内容は、貧困者が現状より公正な扱いを現実的に受けられたかどうかであり、経済・社会・政治機会が不平等でない形で分配できたかということだ。そして、それがもし可能なら、どんな仕組みで実現できたかを考えるべきだ。

 「遊びこそが肝要」と題されたエッセイでは、不正、不平等、貧困、圧政などに反対する方法として、「遊び」による抵抗を勧めている。

 遊びを? どのようにして?

 例えば、アフリカ系アメリカ人コメディアン、ディック・グレゴリー は、長いとんがった帽子をかぶる殺人的な人種差別主義者、クー・クラックス・クランのメンバーの秘密を観客にこう暴露した。「あまり知られてないことだけど、あいつらの頭は本当にああいう形をしてるんだぜ」。こう聞かされたらなら、誰でも興味津々でその帽子の中を確かめたくなるというものだ。おかしな詮索は人種差別主義者たちを無力化するには役立たないが、その立ち位置を矮小化する助けにはなる。笑いで優しく権威を引き下げるのも、戦いの有効な手段になり得るのだ。

 本書には14編のエッセイが収められている。一見してインドや途上国特有のテーマでありそうなものでも、日本や世界にあてはまる智慧が満載だ。

 センが示しているのはリアリティのない理想ではなく、現状を改善するための現実的な問いや解釈である。だが、人間は利己的で盲目的だから、センが目指すような理性と正義へと世界が向かうには、多くの人の賛同が必要だ。本書を通してセンの世界観と本質をとらえる目を共有してみてほしい。

文=高橋輝実