9日間の拘留から釈放・不起訴になるまで――冲方丁が語る、警察・検察・裁判所の「不思議な世界」

社会

2016/10/21

『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』(冲方 丁/集英社インターナショナル)

「この人はいったい、なんの小説の打ち合わせをしているんだろう」

 身に覚えのない罪状で警察に逮捕され取り調べを受けることになった小説家、冲方丁は逮捕状の記載を見せられて、そう思ったという。『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』(冲方 丁/集英社インターナショナル)は、著者が主催したイベント会場で打ち上げをしていたところへ、突然3人の刑事が訪れて警察署に同行し逮捕されてから、釈放されるまでを描いたノンフィクションの物語である。身に覚えがないということは、誤認逮捕や冤罪のたぐいであり、普通なら悲劇である自らの体験を、著者は「馬鹿げた9日間」の「喜劇の物語」と語っている。それは何故か?

 逮捕容疑は、妻の顔面を殴って前歯を破損させた傷害だというもので、「普通は殴ったほうの拳も傷ついているはずだろう」と著者は冷静に考えて反論するも、担当の刑事は「体のどこかが相手の顔にぶつかったのでは?」などと、さまざまなシチュエーションを挙げてきたそうだ。これは取り調べのテクニックで、反論を多くさせることによって供述の矛盾点を引き出したりするためらしい。ただし、供述調書には質問した刑事の言動は記録されず、もっぱら被疑者の発言のみ、それも「用意された筋書き」に当てはまらない発言は「事件に関係ないこと」として黙殺されてしまうという。

 この調書のくだりで、私の実家が泥棒に入られたときのことを思い出した。被害に気づいた祖母に代わって同居していない私が担当刑事と話をし、調書に署名捺印を求められたのだが、その文言は祖母が直接答えた体裁になっており詳細が違っていたものの、泥棒に入られた事実に変わりはないため応じた。しかし本書を読むと、もし犯人の供述と被害状況が合わなかったら、警察はどうするつもりだったのかという疑問が湧いた。

 本書の事件のほうは著者に弁護士が付き、妻の代理人と連絡を取ってもらうと、不可解かつ不条理な展開をしていく。妻の代理人からは「私は夫を訴えていません」という内容の書類が届き、それでいて和解金として「3000万円」を要求してきたという。一方、逮捕当時には署員たちが「ウキウキ」して指パッチンや口笛まで吹いていたのに、次第に担当刑事が取り調べで著者と目を合わせなくなるようになったそうだ。そして検察は事件の体を成さないと判断したのか、ようやく不起訴が決まり著者は釈放された。ただし、小説家らしく著者は幾つかの推理をしているものの、物語としては誰がこの事件を「用意した」のか謎のまま終わる。

 私の実家の事件では犯人は逮捕されたが、民事裁判はやらないほうがいいと担当刑事から諭された。これも、本書を読んだ後では、何か民事裁判をさせたくない事情が警察側にあったんじゃないかと勘ぐりたくなってしまった。

 著者は、自身の体験を悲劇ととらえれば「不条理を受け入れる」ものだから解決が見出せ なくなるのに対して、喜劇なら「一切合切、覆すことができる」という希望を与えてくれると考え、執筆に臨んだそうだ。それは、いわば逮捕されたときの心構えでもある。そして、一度作成された供述調書に署名捺印すると、それが事件の事実となってしまうことから著者は、弁護士に電話を入れ「連絡がつくまで警察の要求には一切応じない」ことを読者に提示している。だが、警察署に連れてこられると持ち物を取り上げられ、「電話をしたい」と申し出ても「かけてあげるから番号を書いて」と言われるだけで、著者の場合は、たまたま留置場で同じ房に入っていた人から、弁護士の電話番号を教えてもらえたという。どうやら、日頃から暗記力は鍛えておいたほうが良さそうである。あと、おしゃべりな性格も直しておくべきか。

文=清水銀嶺