中村文則『あなたが消えた夜に』の番外編が読める! 書き下ろし新作を無料公開

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2016/11/5


とある広場で“あの人”


今月の“あの人”は…あなたが消えた夜に』

中島

あなたが消えた夜に』 中村文則/毎日新聞出版

東京郊外の市高町で起こった連続通り魔殺人事件。その目撃情報から、犯人は〈コートの男〉と呼ばれていた。3件のうち2件は被害者が死亡。緊迫する状況のなか、市高署の刑事・中島は、警視庁捜査一課の女性刑事・小橋とともに聞き込みを続けていた。偶然遭遇した異様な雰囲気の男が血の付いた包丁を所持。逮捕に踏み切るが、中島は強い違和感を覚えた。「この男じゃない──。」彼のそうした予感を後押しするかのように起こる〈コート〉を着た男の犯行。ネット上にあふれる〈コートの男〉を名乗る書き込み。いったい〈コートの男〉の目的とは? 歪んだ人間関係と深い心の闇─さまざまな「悪」を描いてきた中村文則が放つ衝撃の警察小説。

『あなたが消えた夜に』番外編

気分転換な夜に【第一話】中村文則


写真提供=Getty Image

 中島と小橋が夜の街にいる。二人は刑事だった。

「あのさ」中島が言う。

「大変なことになったって、君は電話で言ったよね?」

「はい」

 中島はグレーのスーツ、小橋は白いジャケットに膝までの黒いスカートをはいている。

「君がすごく深刻な声でさ、すぐ来てください、あの事件はまだ終わってなかったって言うから、俺は慌てて来たわけだ」

「ええ」

「なのに、何で俺達はここにいるの?」

 二人の前に小さな食堂がある。外の空気は微かに冷え、湿った風が舞っている。不満そうな中島を小橋が満足げに見る。

「あの事件はまだ終わってないんです。……私達はまだ、打ち上げをしていない」

「……は?」

「今から私と中島さんで、あの事件解決の打ち上げをするんです」

 小橋はそう言い、胸ポケットからようかんを取り出してかじる。旨かったらしい。うっとりした表情で咀嚼している。中島はため息をつく。

「……じゃあ最初から、打ち上げしましょうって言えばいいだろ。あとさ、今からご飯食べるのにようかん喰うなよ」

「細かいですね。だから中島さんは女子職員達の間で……」

 小橋はそこで言葉を止め、食堂の引き戸を開けのれんをくぐる。中島も後からついていく。

「……女子職員達の間で、俺が何て?」

「ああ。お店のなか暖かい」

「話逸らすなよ」

 小橋は年季の入った木目のカウンターの向こうを見る。食堂の大将が一人で立っている。

「二名で予約してた小橋です」

「いらっしゃい」

 店はこぢんまりとしている。大将は気難しそうだ。

「ここはきまぐれなお店なんです」

「……つまり」質問は諦め、中島は席に座る。「メニューがなくて、大将がお客さん見て料理つくるとか、そういう?」

「いえ。……メニューはあるのですが、その中から、大将が今つくりたそうなメニューを私達が選ばないといけないの」

「……は?」

「昔は、つくりたくない料理を注文されると、嫌な顔をするだけだったんですが……、最近は、聞こえない振りされてつくってくれないんです。だから私達は、今の大将の気分を察知しなければいけない。……だからよく見て。あの大将を見て」

 中島はしばらく茫然と小橋を見ていたが、やがてまた溜め息をつく。

「あのさ、何で君はこういう店を選ぶんだよ。あと、どうやってこういう店見つけるんだ」

 だが小橋はもう聞いていない。すでに真剣な表情で大将の様子を見ている。

 昔の中島なら面倒に思い、小橋に自分の分まで選んでくれと言っている。でも中島も大将の様子をじっと見始めていた。気の毒にも、彼は知らないうちに小橋に感化されている。

 普通の中年の男に見える、と中島は思う。中肉中背。細い目に丸い鼻。でも少し唇がぷるんとしている。つまり……。中島は思う。わかるわけねーだろ! だが小橋は大将からそっと目を離し、メニューを一瞥し小さくうなずいた。

「大将、私は……」声が緊張している。

「……白身魚定食で」

 大将が小橋を見つめる。二人の間に緊張が走る。

 外では雨が降り始める。雷が鳴ったら本当の茶番だ、と中島は思う。

 二人はまだ見つめ合っている。だがやがて、大将のぷるんとした唇が緩む。

「……あいよ」

 小橋が大きく息を吐く。中島はもう帰りたくなる。

「良かった。合ってた」

「色々言いたいことはあるけど、もういいよ」

「早く中島さんも選んで」

「え? ああ、そうか」

 中島は今食べたいものを普通に選んだ。

「大将、カレーライス」

 何かの作業をしていた大将が振り向く。中島に軽蔑の眼差しを向けたあと、鼻で笑いカウンターの奥へ消えていく。

「……何だ今の」

「気分じゃないもの選ぶと、聞こえない振りされるって言ったでしょ? 間違えましたね」

「いや今の絶対おかしいだろ。聞こえない振りすらしてないだろ。明らかに聞いてたよ」

「あ、大将戻ってきた。もう一度やるの」

「何だこの店!」

「刑事でしょう? 推理するのよ」

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なかむら・ふみのり●1977年、愛知県生まれ。2002年『銃』で新潮新人賞を受賞し、作家デビュー。04年『遮光』で野間文芸新人賞、05年『土の中の子供』で芥川賞、10年『掏摸(スリ)』で大江健三郎賞を受賞。14年、ノワール小説に貢献した作家に贈られるアメリカの文学賞デイビッド・グディス賞を日本人で初めて受賞。16年『私の消滅』で、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。ほかの著書に『去年の冬、きみと別れ』『教団X』などがある。