想像?妄想? いいえ現実です!“自分が生み出した特別な存在”が教えてくれる本当に大切なこと

文芸・カルチャー

2016/11/6


『ぼくが消えないうちに』(A.F.ハロルド:作、エミリー・グラヴェット:絵、こだまともこ:訳/ポプラ社)

「誰もがうらやむかっこいい彼氏がいたら…」、「二次元ではない、俺の嫁(キャラ)は実在する!」など、誰もが一度は経験したことがあるであろう妄想。でも、その妄想力が働くようになったのはいつからなのか? 微かな記憶でも、母親に聞くでも構わない。きっかけとなった出来事を、ぜひとも思い出してほしい。そして誰にも見えない“自分だけの見えないお友達”がいたことも。

ぼくが消えないうちに』(A.F.ハロルド:作、エミリー・グラヴェット:絵、こだまともこ:訳/ポプラ社)は、小学校高学年向けの、いわゆる児童書だ。だが、その内容はハラハラドキドキの冒険物語だけではない。私たち大人が心の奥底にしまい込み、記憶からも消し去ってしまった思い出。その思い出を鮮やかによみがえらせてくれる、“大人の児童書”ともいえるのだ。

著者は、イギリスの詩人A.F.ハロルド氏。大人向けと児童向けの小説を手掛けているが、邦訳されるのは本作品が初めて。想像力豊かな少女アマンダは、ある日自分の洋服ダンスの中から出てきたラジャーという名の男の子と大親友となり、2人はいつも一緒の時間を過ごしていた。しかし、怪しげな男バンティングに出会ったことで、幸せな時間は一変してしまう。

アマンダと離れ離れとなり、一人ぼっちになってしまったラジャーは、自分のような“見えないお友達”の意味や、“忘れられてしまった者”の現実に直面していく。一度は存在が消えかかってしまうラジャーだったが、世界はそんな彼らにも優しく手を差し伸べ、新たな道を示してくれる。それでも、ラジャーは“アマンダの大親友”なのだ。別の誰かの姿に成り代わり、新しい友達のそばにいても、その誇りはラジャーから消えることはない。だが、そうしているうちにも、ラジャーとアマンダには危機が迫っていた。

さらに本作品では、アマンダの母親であるリジーと、彼女の“大親友”にも注目してほしい。ラジャーやアマンダの冒険に子どもがワクワクするように、リジーに対して大人は切なさと、懐かしい友人と再会することができる喜びや幸せを感じることができるだろう。それは私たち大人は、幼いころの記憶を決して消し去っているのではなく、心の奥底にしまい込んでしまっているからだ。少しのきっかけさえあれば、幼いころの記憶は色を取り戻し、私たちに“大切な友達”の存在を教えてくれる。ラジャーとアマンダからはまぶしいばかりの思い出を、リジーと“大親友”からは大人になったという、ほんの少しの傷みを感じることができるだろう。

私情にはなるが、私にも小さいころ“大親友”がたくさんいた。それは喋る猫であったり、風の妖精だったり、私とうり二つの双子の片割れであったり…。どの“大親友”もつい先ほど思い出したばかりだが、今では私のそばでいろいろな思い出話をしてきてくれる。幼いころに出会った“友達”は、自分がいくつになっても、どんな姿や立場になっても、必ず自分の味方になってくれるだろう。この本を通して、ずっと自分のことを待っている“友達”と再会し、思い出話や家族のこと、自分のことを久しぶりに話してみてはいかがだろうか。

文=椋鳥