草間彌生、村上隆、奈良美智、会田誠、山口晃…抽象的でむずかしい「現代アート」を見極める7つのポイントとは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/13

『現代アートコレクター(講談社現代新書)』
(高橋龍太郎/講談社)

 芸術の秋。「美術館に絵を観に行こう」と言ったら、どんな作品を思い浮かべるだろう。ダリ、ゴッホ、ミュシャ……。いつか教科書で眺めた絵画とともに、名だたる芸術家の名前がパッと思い浮かぶだろうか。彼らとその作品は、評価されてきた、まぎれもない名作だ。

 一方で、「現代アート」の作品や存命の作家を、同じように知っているだろうか? もしかしたら、あまり馴染みがないという人も多いかもしれない。

日本のアートのレベルは世界トップだという、確信がある。技術的なレベル、一万年の歴史に裏打ちされた美意識、サブカルチャーとの連関、世界の辺境に位置するが故の独自性……その魅力が、一部の人だけのものでしかないという今の現状は、もったいないとしか言いようがない。

 こう語るのは、『現代アートコレクター(講談社現代新書)』(講談社)著者の高橋龍太郎氏。精神科医が本職の傍ら、趣味が高じて現代アート収集を始めた高橋氏は、今や日本を代表するコレクターだ。

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現代アートは難しい。抽象作品は何がなんだか分からない。展覧会では、アートより先に解説を見る。作品より名前を先に見てしまう。人にどうだった? と感想を聞かれると困ってしまう。こんな思いをした人は少なくないだろう。

 高橋氏は、“現代アートは難しい”という、わたしたちのとまどいを見抜いている。では、わたしたちは現代アートをどのように見ればよいのだろうか?

既成概念がアートを難しくする

「マインドレス」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「何かにとらわれてしまって自分の心が無くなってしまっている状態」をマインドレスという。極端な例で言えば、アルコール依存症の人の心が、アルコールを飲みたいという感情に縛られている状態のこと。そうでなくても、わたしたちの思考や感情は、無意識のうちにさまざまな影響を受けて形成されているものだ。

私たちは、アートの作品に接するとき、様々な評価や解釈をするが、それは既に他人の言葉で規定された上に乗っかっていることが少なくない。もっといえば、私たちの文化的な、民族的なバイアスがあるかもしれない。これらの既成概念やとらわれを持ったままでアートを見てしまうことが、マインドレスな状態ということになるだろう。

 このような状態では、「私たちの持っている既成の判断やとらわれが、現代アートという新しい美に対応出来ずにいる」ということが、しばしば起こってしまう。これが、現代アートを難しいと思わせる原因なのだと、高橋氏は語る。

 彼は、このマインドレス状態から脱却する方法として、医学の世界で精神療法として活用されている「マインドフルネス療法」を提案している。

マインドフルネスとは……

日本では「気づき」にあたる言葉だが、日常的な「気づく」という意味と混同してはならない。「見出すこと」とも言い換えられ、つまり本質に気づくということである。

 この具体的な療法を、現代アート鑑賞時に実践すると次のようになる。

(1)楽な姿勢を見つけ、目を一度閉じて、目を開ける。
(2)絵に向き合い、絵をあるがままに感じる。
(3)雑念が起きれば、心の中で「見る。見る。感じる。感じる。」と唱える。
(4)身体全体で、絵を見ている「今の瞬間」を受け止める。
(5)絵と絵を見ている自分の一体感を味わう。
(6)少しずつ絵と自分を取り囲むまわりへと気を配っていく。
(7)鑑賞終了(もしかすると、本質を見極めるという意味で、「観照終了」という字を当てた方が良いかもしれない)。

 たったこれだけで、難しい知識も面倒な手順もなにもいらない。しかし、だからこそ、既成の価値観から脱した新鮮な感覚でアートと向き合うことができるのだ。マインドレスの状態とは真逆に、何ものにも依存しない、自然な心の状態で“今”だけを見つめること。

あるがまま、見えるがままアートに向き合って見る。それが「マインドフルネス」の第一歩となり、それがアートに向き合うときの基本的な姿勢と言えよう。

 余計なものをそぎ落として、まっさらな状態となったマインドフルネスの心は、既成概念の通用しない現代アートと対峙するときこそ、より力を発揮するのではないだろうか。“今”には、まったく新しい発見があるかもしれないのだ。

奈良美智の作品が与えた「気づき」

『現代アートコレクター』P.103より

 高橋氏は、現代アート作家の奈良美智の作品『深い深い水たまりII』の女の子の眼差しについて、以下のように綴った。

彼女は何を睨んでいるのだろうか。(中略)私には、この女の子は、大人になった未来の自分自身を睨んでいるように思える。人は大人になる時に、色々なものを忘れていく。人の心のなかにある内なる子どもは、その忘れ去られた過去の自分でもある。私たちは、その内なる子どもを失うことによって大人になっていく。その内なる子どもが、私たち大人の今を射すくめる。(中略)子ども達の、無垢でありながら揺るぎない視線にたじろがない大人はいない。それは、内なる子どもの死をもって大人になった私たちが、そこには永遠に戻ることのできない心の内側の死に気づくからだ。

 高橋氏はこのマインドフルネスを駆使し、この作品を見る、感じることで、自分の中にある子どもの死に「気づいた」のかもしれない。

 “今”、この瞬間にも、汗水を垂らして作品を創出している作家たちがいる。現代アート作品とわたしたちは、同じ時代を共有して生きている。

 現代アートと向き合う時は、その熱を感じ、その叫びを聞くことから始めてもいいだろう。それこそ、マインドフルネスの感覚をもって、作品を通じて“今”を全身で浴びて欲しい。

 それこそが、現代アートの醍醐味であり、現代アートを読み解いていく糸口となるのではないだろうか。

 2017年2月22日より、「草間彌生 わが永遠の魂」展が東京・新国立美術館で開催される。日本を代表する世界的現代アート作家、草間彌生の、過去最大級の個展となる。先日、文化勲章を受賞した草間は、記者会見で「自分は死にものぐるいで、何千年も人々が心を打たれる芸術を作っていきたい」と語った。

 現代アートを倦厭していたという人も、そうでない人も、まずは現代アートを代表する草間彌生の作品と向き合ってみてはどうだろう。新しい「マインドフルネス」という視点は、何か新しい「気づき」をもたらしてくれるに違いない。

文=泉井眞衣(清談社)