6年5カ月ぶりに〈古典部〉シリーズの新作刊行!『いまさら翼といわれても』米澤穂信インタビュー

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公開日:2016/12/14

シリーズ最新刊『いまさら翼といわれても』は、ミステリーの快感とドラマの深度の融合で、読者を必ず驚かせるだろう。シリーズが先へと進み、物語内で流れる時間が動くことで、こんなにも面白くこんなにも切実なメッセージが出現することになろうとは!

折木の省エネ主義は、どこから生まれたのか? 完璧主義の千反田が、合唱際に参加するためにやってきた控え室からなぜ、どのように消えたのか。伊原が漫研を退部した理由とは。登場人物たちの過去と未来を、ミステリーとドラマを連結させながら丁寧に描き出していった先で、風雲急を告げる〈古典部〉シリーズ第6弾。

よねざわ・ほのぶ●1978年、岐阜県生まれ。2001年、角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を『氷菓』で受賞しデビュー。11年、『折れた竜骨』で日本推理作家協会賞を受賞。14年『満願』で山本周五郎賞を受賞。他の著書に『王とサーカス』『真実の10メートル手前』など。

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“史上初連続ミステリー三冠”を経て、最高の時期に刊行

 米澤穂信の代表作〈古典部〉シリーズ、第6弾となる短編集『いまさら翼といわれても』がついに刊行された。前巻『ふたりの距離の概算』からのインターバルは、6年と5カ月。米澤はその間、2011年に『折れた竜骨』で日本推理作家協会賞を受賞、14年に山本周五郎賞を受賞した『満願』と15年発表の『王とサーカス』は、3つの年間ミステリーランキングで1位となり、史上初の2年連続三冠に輝くなど、一気に作品のクオリティと知名度を上げた。その過程で磨き上げてきたミステリー作家としての感性と技術が、最新刊の全6編に惜しげもなく注ぎ込まれている。
「収録されたなかでもっとも古い短編は、08年に発表したものです。その後1~2編書き上げた段階で、短編集全体の構想が浮かびました。過去と未来についての短編集というかたちで書いてみたいな、と。〈古典部〉は高校生たちの話ですけれども、彼らには高校生活に至るまでの時間もあったし、ここから先も時間はあるのだという、時間の広がりをテーマにできればと思ったんです」
 構想は早くに決まっていたものの、一冊を完成させるまでに時間がかかったのは、以前から依頼を受けていた〈古典部〉以外の作品を執筆しなければいけなかったからだ。さらにもうひとつ、時間をかけることになった理由がある。シリーズ第6弾だったからこその理由なのだが、その話をしてもらう前に……シリーズのおさらいを。

謎が解けた瞬間に人間性が分かる・変わる

「この11月にデビューしてちょうど15年を迎えました。デビュー作から始まるシリーズを今もって書かせていただいていることの幸福を、折にふれて感じています」
 米澤穂信は、01年角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞した『氷菓』でデビューを果たす。同作から始まる〈古典部〉シリーズの舞台は、農業がさかんな地方都市にある、運動部よりも文科系部活のほうが熱い神山高校。「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」というモットーを掲げる1年生の折木奉太郎は、伝統はあるものの先輩部員はいない「古典部」に入部し、のんびりと日々をやり過ごすつもりだった。ところが、中学以来の旧友であるフクちゃんこと福部里志に片思いを続ける伊原摩耶花、そしてミステリアスな魅力を放つ千反田えるが相次いで入部。日常に転がる謎と不思議に反応し、「わたし、気になります」とつぶやくえるのため、折木はやむをえず「探偵役」を受け入れていくこととなる。
 本シリーズの登録ジャンルは、ミステリーの醍醐味と青春小説としての魅力が組み合わさった「青春ミステリー」だ。
「〈古典部〉は何よりもまずミステリーですから、推論やロジックを積み重ねて真相を突き詰めていくという、私が大好きなミステリーの根幹の部分をしっかりと作るよう意識しています。どんな話であれ、まずそこを固めなければいけない。そのうえで青春小説としての部分を融合させていくんです。目の前の謎が解けた時に、登場人物たちの何が変わるんだろう、彼らの人間性のどんなところが分かるようになるんだろう。あるいは、何が変わらないままで、何がまた新たに分からなくなるんだろう、と」
 ミステリーの謎が明らかになるピークの瞬間、謎に触れていた登場人物たちの人間性がもっとも強く現れる。そこから新たに流れ出す時間が、それ以前に描かれていた人間性と関係性に大きな刺激をもたらす。そのようにして〈古典部〉シリーズは書き継がれ、進化していったのだ。
「日常のミステリーであることと、彼らの成長物語であることという2本の柱は、『氷菓』から『いまさら翼といわれても』に至るまで、揺らいでいないつもりです」

時計の針を進め 空間を広げていく

 実は、最新第6作『いまさら翼といわれても』でクローズアップされた「時間」というテーマは、第1作『氷菓』の段階ですでに書き込まれていた。小説の冒頭、高校1年生の主人公・折木奉太郎は「薔薇色」の一語について、こんなふうに思いを巡らせている。
〈高校生活といえば薔薇色、薔薇色といえば高校生活、と形容の呼応関係は成立している。西暦二〇〇〇年現在では未だ果たされていないが、広辞苑に載る日も遠くはあるまい。〉
 33年前の文集の謎をメインに据えた『氷菓』は、青春が薔薇色でなくても、灰色であることは決して悪いことではないと折木が思うに至る物語なのだが、重要なポイントは「西暦二〇〇〇年現在」という一語の存在だ。〈古典部〉のシリーズ化を念頭に置いていた米澤は、うっかり、ではなく、あえて、物語の時間軸を前面に出したのだ。
「いつなのか分からないけれど“今”というふうに現在時間を設定する方法もあります。そうすると、シリーズの最初のほうでは“新幹線というものができた”と言っている探偵が、最新刊では携帯電話を使っている、しかも年齢は変わってないというようにも書けますよね。そういった状況は〈古典部〉には似合わないというのもありましたし、さきほども申し上げた通り、このシリーズはミステリーであると同時に彼らの成長物語でもある。ビルドゥングスロマン(登場人物がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描いた物語)であるということはデビュー当時から考えていましたので、であれば、今はいつなのか。そして彼らが過ごしていく時間はいつのことなのか。それをしっかりと記述できるような選択をしたほうが、この物語にはふさわしいと判断しました」
 始まりの時間を明確にしておいたからこそ、その後の時間経過を、読者に分かりやすくリアルに提示することが可能となった。夏休み前に起きたとある殺人事件(!)を描く第2作『愚者のエンドロール』、10月の文化祭当日のてんやわんやを群像ミステリーにした第3作『クドリャフカの順番』……。そして第4作『遠まわりする雛』で、「時間」にまつわる大きな選択がくだされた。
「古典部のメンバーの学年を、最後で1年生から2年生に上げました。時計の針を進めて、彼らの成長を本気で書いていくという意志を示したかったんです」
 かくして古典部の面々は2年生となり、新入部員の後輩を得た。第5作『ふたりの距離の概算』は、毎年5月におこなわれる長距離走大会の競技中に、「回想」でミステリーが展開する異色の長編だ。登場人物たちは最初から最後まで、「学外」にいる。
「『遠まわりする雛』で初めて学外を舞台にした話を書いたんですが、もっぱら学校の中の話であったシリーズが少しずつ、外の人間関係とのつながりであるとか場所的に学校の外であるとか、広がりをもつようになっていることは、意識して狙ったところでした。学生である彼ら自身が、どこまで自分たちの小世界の外側に手を伸ばしていけるのかということは、折にふれて作中のテーマになっているかなと思います」
 物語内の時計の針を動かし、物語世界の地図を広げていった、その先に、最新第6作『いまさら翼といわれても』が現れる。

信頼の積み重ねがあった今だから書くことができた

 全6編は、高校2年生の6月のある一夜から始まり、夏休み初日に起きたある事件で終わる。
「実は雑誌掲載時から加筆修正し、作中での現在時間の調整を施しています。現在時間の振れ幅を短く取ることで、語られる過去と未来の射程をより長めに取ることができるのではと考えました」
 第1編「箱の中の欠落」は、福部に電話で呼び出された折木が、男ふたりで夜の散歩をしながら、その日の日中におこなわれた生徒会長選挙の大量不正票事件の謎を推理する。タイトルは、日本ミステリー史のマスターピースである『匣の中の失楽』(竹本健治)を思わせるが。
「学園モノの定番である生徒会選挙を題材に採りながら、ミステリーの定石であるハウダニット(How done it?=どのようにしてやったのか?)を強く打ち出して、この短編集のいい入り口にしたい。このシリーズを愛してくれている読者の方々に、より純度の高いミステリーを第1話では差し出したいと思ったんです」
 昼とはまた違う顔を見せる、夜の町を歩く二人の姿の描写には、小説的な純度も封じ込められている。
「これまで見なかったような、学外での関係性を描きたかったんです。夜の町の散歩って、自分も学生時代よくやってたし、彼らがそういう散歩をしたら、何か見えてくるものがあるんじゃないかって。実際に書いてみたら、折木は普段学校にいる時よりもちょっと感傷的に、情感豊かにいろいろなことを語っている。それを受ける、福部も少し変わって見えてきて。書けて良かったなと思いますね。移動しながら推理するって、意外と難しかったのですが(笑)」
 第2話「鏡には映らない」は、語り手が伊原摩耶花に変わる。中学時代の同級生と再会したことがきっかけで、かつての自分は折木を軽蔑していたことを思い出す。中学3年の時、卒業生全員で、大きな鏡の木製フレームを「卒業制作」として作ることになった。だが、折木が手を抜いたせいで、不完全なフレームができあがってしまったのだ。今の折木を知る彼女はふと思う。折木はなぜ、そんなことをした?
「ミステリー部分に関していえば、私自身が中学校の時に、鏡のフレームをみんなで彫るという経験をしていたんです。その記憶を思い出して、これを小説にできないかな、というのが出発点だったと思います」
 振り返ってみれば『氷菓』の初登場シーンで、伊原は折木にこう言ってのけている。「あれ、折木じゃない。久し振りね、会いたくなかったわ」。続けて、「こんな陰気な男、なめくじの方がまだましよ」。そうした「毒舌」の裏には、中学時代の因縁があったのだ。この一編は、今だからこそ書けたと米澤は言う。
「『氷菓』からの彼らが過ごしてきた時間の蓄積は、信頼を育てるには十分なものだったろうと思うんです。古典部のメンバーそれぞれがお互いについて、こういうことはするだろう、こういうことはしないだろうっていう信頼を深めていっている。だからこそ伊原は、中学時代の折木の行動に疑いを持つに到った。時間による信頼の積み重ねがあったからこそ、書けた話だと思っています」
 第3編「連峰は晴れているか」は、放課後の部室に届いたヘリコプターの音から、折木の記憶のスイッチが入る。第5編「長い休日」もまた、折木の過去についてのミステリードラマだ。なにしろ「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」というモットーを抱く、きっかけとなる事件が彼の口から語られるのだから! 2編はともに、謎が解き明かされた瞬間、折木という人物に抱いていたイメージの解像度が、ぐっと上がる。
「自分は省エネだ、薔薇色の青春を楽しむ活力のある人たちとは違う、そのことに対して、彼はコンプレックスを持っているんですよね。なぜ自分は何かにのめり込んで、何かを愛していくことができないのか。『氷菓』の時から折木自身の抱える思いだったんです。その原点、源泉みたいなものを、ここでようやく書くことができたと思っています。タイトルにはいつも悩むんですが、書き終えた瞬間に、これ以外ないな、となりました」

登場人物の過去と未来 個々の人生を尊重したい

 冒頭で示した、この一冊を完成させるまでに時間がかかった理由。米澤が時間をかけたいと思った理由。そこには、第4話「わたしたちの伝説の一冊」が大きく関わっている。再び伊原を語り手に据えた本作は、彼女が兼部している「漫研」での活動と、マンガ家を目指して投稿する日々が活写される。そして、『ふたりの距離の概算』で事実のみ言及されていた「2年進級時の退部」の真実が、初めて明らかになる。いったい誰が自分を、退部へと追いやろうとしているのか?
 収録順は真ん中だが、実は、この一編を最後に執筆した。
「本一冊を作るということだけ考えると、なくてもいい一編だったんです。というのは単純な話で、なくても分量的に十分足りているんですよ。これを書かなければその分、早く出せる。でも、せっかく久しぶりに出す本ですから、読者にはできるだけ、ボリュームがあるものを読んでもらいたい。じゃあ何を書きたいのかなと思った時に、『クドリャフカの順番』から宙吊りになっていた伊原の問題が浮かびました。過去と未来の時間に想像力を伸ばすことで、登場人物たちの輪郭をより明らかに書くということが、今回の短編集でやりたいと思ったことでした。だとしたら、ここで伊原のことを書いてあげたい、彼女の過去と未来をしっかり提示したいと思ったんです」
 この一編があるからこそ、ラストに現れる表題作「いまさら翼といわれても」で描かれたテーマがより輝くのだ。夏休み初日、地域の合唱際に参加する予定の千反田えるが、会場から消えた。なぜ、どこへ消えたのか? 折木はえるの心情を推理し、行動を起こす。
「ミステリーとしての出発点は、うそがつけないから窮地に陥っていくという、心理ミステリーとして組み立てていたと思います。場所当てのミステリーだと思わせつつ、実はこれ、うそつき探しの話なんです。その構造が、千反田が抱えるものとうまく反響し合えたのではないかなと思っています」
 謎が解き明かされた瞬間、シリーズを読み継いできた読者ならば必ず、度肝を抜かれることだろう。
「彼らはみな高校生です。将来の選択に迫られる時間を生きてはいますが、未来の可能性はここですべて決まってしまうわけでもない。いい意味でも悪い意味でも、可能性は広がっている。はたから見ればそれは素晴らしいことじゃないかで済むんだけれども、本人にとってはそうでもないかもね、と。“絆”という言葉で指し示されているものも、見方を変えれば“同調圧力”であるということを書いたのが『氷菓』でした。物事の二面性を書きたいという思いは、このシリーズに共通しているところかもしれません」
 シリーズ史上最大の転換を果たしたこの先で、古典部の面々はどんな時間を生きることになるのか。期待を抱かずにはいられなくなる言葉を、米澤からもらうことができた。
「もう少し、もう一声できたかもしれないのに、自分が頑張れなかったから、まぁこんなものかで本を出してしまうというのは、読者に対して不誠実です。でもそれ以前に、小説の登場人物たちにとって申しわけない。どの人物も粗略に扱いたくはないし、自分の操り人形であるとか、自分そのままの投影であってほしくない。自分とは異なる個別の存在であってほしいし、彼らの人生を尊重したい。そう思うからこそ、彼らが登場している小説を、少しでも良いかたちで表現しなければならないと思うんです。……ちょっと気を張りすぎましたかね(笑)。まあ、彼らとはすでに15年以上、ともにキャリアを積み重ねてきていますから。これからもよろしくお願いします、という感じですね」

〈古典部〉シリーズ既刊

いつの間にか密室になった教室、毎週必ず借り出される本……。1年生4人しか部員がいない古典部の日常には、謎がごろごろ転がっている。やがて4人が古典部の伝統ある部誌『氷菓』の制作に取りかかった時、文集に秘められた33年前の「事件」が浮かび上がる。

文化祭に出展するクラス製作の自主映画には、ラストシーンが存在しなかった。廃屋の鍵のかかった密室で腕を切り落とされて死んでいた少年を殺害したのは誰か、その方法は? 続きが「気になる」千反田は、折木たちとともに結末を探る、推理合戦に乗り出した──。

10月、3日におよぶ待望の文化祭が始まった。しかし、古典部は手違いで文集を作りすぎ、頭を抱えていた。そんななか学内で発生した、十文字と名乗る犯人による奇妙な連続盗難事件。古典部4人それぞれの行動にスポットを当て、文化祭での奮闘を描く。

「十月三十一日、駅前の巧文堂で買い物をした心あたりのある者は、至急、職員室柴崎のところまで来なさい」。この校内放送の意味することは? 4月の入学直後から夏合宿、正月、バレンタインデー、雛祭りまで、古典部4人の最初の1年間を描く連作短編集。

古典部の面々は2年に進級、新入生の大日向友子が仮入部する。明るい友子に刺激を受けていたが、ある日突然、入部はしないと言って消えた。最後に会話をしたのは、千反田。5月恒例マラソン大会の真っ最中、折木は部員たちから聞き取り調査を行い、真相に迫る。

取材・文=吉田大助 写真=干川 修