実態は意外なほどにクリーン!?  日本最後の遊郭街・飛田新地に迫る

社会

2016/12/13

『飛田新地の人々 関西新地完全ガイド』(西本裕隆/鹿砦社)

「新地」という言葉を聞いても関西以外の人にはピンと来ないのではないだろうか。関西で「新地」と言えば、「ちょんの間」と呼ばれる風俗店が並んだ色街のことを指す。関西各地に点在していた新地は次々と摘発されて姿を消していった。しかし、今でも営業を続けている新地もまた少なからず存在する。

飛田新地の人々 関西新地完全ガイド』(西本裕隆/鹿砦社)は最大の新地である飛田新地を中心に、関西新地を網羅したガイドブックである。とはいっても風俗ガイドの類ではなく、新地の歴史や慣わしを解説した観光ガイドに近い一冊だ。単なる性産業の枠に留まらない異空間としての新地の魅力が本書を通じて伝わってくるだろう。

 飛田新地の成り立ちは古く、開業したのは1916年。当時は飛田遊郭という名称で、100軒以上の店が営業していたという。太平洋戦争の空襲からも焼け残った飛田遊郭は、全盛期には200軒以上もの店が並ぶ西日本最大の遊郭だった。戦後も飛田新地に改称し、赤線(公認の売春地帯)として栄えていく。

 しかし、最大の転機が1957年に訪れる。売春防止法の施行により飛田の全店が営業停止を言い渡されるのだ。新地を存続させるため、経営者たちが結成したのが「飛田料理組合」だった。新地内の全店舗を料亭とすることで、法をかいくぐることを可能にしたのだ。現在まで続く飛田新地のシステムの誕生である。

 飛田新地を訪れると、100軒以上の料亭の看板を掲げた店舗が狭い区間にずらりと並んでいる。いずれも入り口の戸が開けられており、玄関先には女の子と年長の女性が一組になって座っている。呼び込みや料金説明を行うのは「やり手婆」と呼ばれる年長の女性で、交渉がまとまった客は女の子と一緒に店に通されるのだ。昭和から時間が止まったかのような光景とシステムは、誰もが何度訪れても圧倒されるだろう。

 本書では飛田新地にまつわる素朴な疑問やこぼれ話もたくさん掲載されていて唸らされる。男性にとっては気になる料金体系や、取り分の内訳がどうなっているのかなど、かなり突っ込んだ内容にも詳しい。優秀なやり手婆の影響力や、店舗同士の熾烈なライバル意識、法律に引っかからずに女の子をスカウトする苦労など、華やかな外観を眺めているだけでは分からない裏事情を読むことができるのも本書の魅力である。特に、仲の悪い店舗は積極的に警察へと通報して摘発させてしまう妨害行為は、部外者からしても戦慄させられるエピソードだ。

 また、色街への先入観とは裏腹に、暴力団と関係している店舗は一軒もないというのが驚きだ。偽って営業している可能性を除けば、暴対法が厳しくなるにつれて飛田から暴力団は姿を消したという。料金はどの店舗も一律料金なのでいわゆる「ぼったくり」に遭遇することもない。飛田新地は意外なほどにクリーンな色街なのである。

 そして、第四章で語られるのは飛田新地の「開業手続きマニュアル」だ。新地といえば閉鎖的でよそ者のハードルが高いように思えるが、実際には元手さえあれば誰でも開業可能なのだという。ただし、飛田料理組合への加入や各種申請など面倒な手続きが多いうえ、開業しても必要経費や関係者への接待費などの大きな負担が待っている。経費の総額は忙しい店だと月に200万円以上にものぼる。それでも人生に大成功を収めたい人間は一か八かに賭けて、飛田に集まってくるのだ。

 飛田新地に限らず、兵庫県のかんなみ新地、和歌山県の天王新地など存続している全ての関西新地が本書では取り上げられている。そして、京都の五条楽園跡のように、現在では消えた新地の跡も紹介されている。本書を片手に関西新地や新地跡をめぐってみるのも新たな観光の楽しみになるのではないだろうか。女の子の笑顔ややり手婆の呼び込みの裏側にあるドラマを想像すると、とてつもなく刺激的な体験になるはずだ。

文=石塚就一