「人気は続かない」 CDが売れた時代からライブを楽しむ時代に! 音楽市場を俯瞰した『ヒットの崩壊』

音楽

更新日:2017/1/19


『ヒットの崩壊(講談社現代新書)』(柴那典/講談社)

 音楽市場は本当に、かつての勢いを失ったのだろうか。歴史上、最もCDが売れたといわれるのは1998年だ。宇多田ヒカルや浜崎あゆみらがデビューしたこの年をピークに、音源そのものの売上げは低迷している。

 日本レコード協会調べによる「音楽ソフト・有料音楽配信の売上推移」を参照すると、2015年の配信版を除く売上げは2544億円で、1998年の6075億円と比較すると3531億円減。割合としては、ピーク時の40%ほどにまで落ち込んだことになる。

 しかし、音楽不況の叫ばれる音楽市場において、ここ数年で伸び続けているのがライブという名の体感できる“現場”だ。ぴあ総研が公表した『2016ライブ・エンタテインメント白書』によれば、2015年に行われた音楽コンサートの市場規模は3,405億円。同白書が統計を取り始めた2000年以降の記録では過去最高で、前年比でも25.2%増、特にここ4年間では著しい成長を遂げているという。

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 では、現代の音楽市場に何が起きているのだろうか。その実態への論考を示すのが『ヒットの崩壊(講談社現代新書)』(柴那典/講談社)である。音楽評論家として活躍する著者は、現代はアーティストやアイドルが「息の長い活動を続けることができる時代」であると主張する。

 近代史として区切るならば、ミリオンヒットやダブルミリオンが連発されていた1990年代とは大きく異なるのは明白だ。先述の“最もCDが売れた時代”であった1998年を中心にした時代は、いわば「ミュージシャンにとっては明日の見えない時代」であったと著者は語る。

 その一例となるのが、テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称・いか天)をきっかけとしたバンドブームである。大舞台を夢見るバンドマンたちが、ある日のテレビ出演をきっかけに一躍スターダムへとのし上がっていった。

 しかし、その盛り上がりはあくまでも一過性のものにすぎず、当時は「次々と社会現象的なヒットを生み出しては下火となっていくアーティストが、毎年かわるがわる現れるような時代だった」と見解を述べる著者は、音楽市場において「人気はいつまでも続かない」という“常識”が流れていたと語る。

 そこから現代へ変遷する中で如実にみられたのが、音源の売上げが著しく低迷したという事実である。ただ、人びとの音楽への興味が失われたわけではない。それはいわば構造の変化であり、著者は現代を「CDよりもライブで稼ぐ時代になっている」と俯瞰する。

 その裏付けとなるのが、前段として示したぴあ総研による『2016ライブ・エンタテインメント白書』の指標である。加えて、本書ではもうひとつの興味深い統計が取り上げられている。

 JASRAC発表の「著作権使用料等徴収実績」によれば、2000年度から2015年度の総額自体は、おおむね1000億円~1200億円の間で推移しており、グラフとしてみるとほぼ横ばいになっているのが分かる。ただ、2004年度頃からはパッケージ化された音源を意味する「録画」分野と、ライブでの「演奏」分野が逆転しており、直近の2015年度では「録音」分野が約300億円である一方、「演奏」分野は約600億円の実績が示されている。

 音源で売り上げる時代から、ファンとの一体感で売り上げる時代へ。かつてのイメージとしては、テレビで取り上げられることが“ヒット”への足がかりとなっていた。しかし、現代では「インターネットの普及」も変化の背景にあると語る著者は、ソーシャルメディアにより「アーティスト自らがファンに向けて情報を発信し、その濃密なコミュニティの中で盛り上がりを生むことができるようになった」と分析する。

 音楽とは“音”を“楽しむ”と書く。CDの売上げ低迷をきっかけに“音楽不況”が叫ばれる場面にたびたび出くわすが、深く掘り下げてみると、その土壌には“楽しみ方の変容”が生まれたというのが分かる。

 本書の表題は『ヒットの崩壊』だが、著者は現代の音楽市場をけっして後ろ向きに捉えているわけではない。その言葉を借りるならば「『時間と空間を共有する』体験」が重要視される時代へさしかかってきたということであり、アーティストにとってもファンにとっても、同じ空間の中で瞬間的に一体となれることこそが現代の音楽市場の“核”になってきたといえよう。

文=カネコシュウヘイ