禁断の酒「アブサン」―世紀末パリに愛された「緑の妖精」とは?

社会

2017/1/30

『アブサンの文化史 禁断の酒の二百年』(バーナビー・コンラッド三世:著、浜本隆三:訳/白水社)

 かつて、フランスやスイスなどのヨーロッパ主要国で、製造販売の禁止を受けていたアルコール飲料がある。「アブサン」だ。「アブサント」と表記されることもあり、映画や小説でその名を耳にしたことがあるかもしれない。モネ、ロートレック、モディリアーニ、ランボーらの芸術家たちに、「緑の妖精」と呼ばれ、深く愛されていた蒸留酒だ。主成分は、ニガヨモギやアニスなどのハーブ。アルコール度数は70度前後。ワインのアルコール度数が14度、ウイスキーが43度であることを考えると相当に高い度数だ。特に、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、パリを中心に各地で飲まれていたが、強い中毒性があることと、成分のひとつであるツヨンが精神錯乱を引き起こすことを理由に、第一次大戦開戦のころ、各国で禁止になった。現在では、WHOの定めたツヨン残存許容量以下のものなら合法となっている。

『アブサンの文化史 禁断の酒の二百年』(バーナビー・コンラッド三世:著、浜本隆三:訳/白水社)は、アブサンがなぜ人びとに愛され讃えられ、その後なぜ禁止になったのかを解説した書。成分の科学的な分析よりも、アブサンを取り巻く文化に迫る内容となっている。

 まずは、アブサンを取り巻く風景から。

 19世紀末のパリ、午後5時を過ぎ暗くなってきた並木道。灯りがともるカフェ。給仕に運ばれてきた、透き通ったエメラルド色の液体が、アブサンだ。客はそれを共に運ばれてきた角砂糖の上に垂らす。色が緑からオパールに変わり、怪しく輝く。ハレの場の乾杯よりも、孤独に憂鬱を紛らわすシーンに似合う酒だったようだ。アブサンは「大きくなった子供たちの鎮痛剤だ」とは当時の人気俳優の言葉だが、確かに味も匂いも薬のようで、酔い方も一種独特だったようだ。作家のオスカー・ワイルドは、「飲みはじめは普通の酒と変わりない。次の段階にいたると、しだいに化け物のような、むごいものが見えはじめる。これに耐えられたら、次の段階へとたどり着く。そこでは、思うがままに、素晴らしくも奇妙なものを見ることができる」という証言を残している。

 そのイメージをボヘミアンの象徴として讃美したのが、当時の芸術家たちだ。背景には、都市の近代化がある。19世紀のナポレオン三世政権下は、中世そのままだった街の様子が美しく生まれ変わり、貴族に代わってブルジョアジーの力が強まった時代。また、産業化によって数千もの労働者がパリにやってきた時代でもあった。芸術では、独創的な作品は金にならず、極端に感傷的に描かれたニンフ、兵士の英雄像、幻想的な風景画などが好まれた。これに対抗するように都会の日常生活の中に美を見出したのが、ボードレールやマネら世紀末の芸術家たちだ。彼らは、売春婦、犯罪者、アルコール中毒患者などを含め、都市生活そのものを題材とした。同時に、都市の日陰で飲まれていたアブサンが、その象徴となったのだ。

 しかし、この世紀末の不健康な空気は、第一次大戦の危機が迫ると各国政府によって一掃される。最も多くアブサンを消費していたフランスでも、大戦勃発の1914年に禁止になっている。大戦に向けて少しでも多く健康な兵士を用意しなければならない中、アブサン中毒者がこれ以上増えては、国が弱体化してしまうという意見に押されたようだ。当時の社会の不健康さの真の原因は、きつい労働環境や、ワインやビールを含めたアルコール全体への莫大な消費、安い酒への有毒な混ぜ物など、様々に絡みあった社会問題のはずだ。しかし、政府はアブサンだけを、国家を衰弱させる悪の飲料として槍玉にあげたのだ。こうしてアブサンは、一気に酒場から姿を消し人びとから遠ざかることとなる。

 現在でもアブサンは身近な飲料とはいえないが、映画や小説の中には案外数多く出演している。退廃的なシーンを盛り上げるための演出なのだろうか、それとも何か深い意味が隠されているのだろうか。その魅力は、禁じられた歴史をもつからこそ輝いているのかもしれない。もしあなたとアブサンとが出会うことがあったなら、世紀末の淀みと爛熟をゆっくりと味わってみては…。

文=奥みんす