英語教師こそ堂々と英語を話すべき? 日本人の「英語コンプレックス」は単に◯◯が苦手なだけだった!

社会

更新日:2017/2/8


 日本人は、受験英語のせいで英会話が苦手――。よく指摘されてきたフレーズだが、果たして本当にそうなのか。そもそも多くの人が抱える、英語への苦手意識というのは何なのか。受験英語の秀才で名門・東京大学に進学しながらも、英会話はもちろんそれ以外は「まるで駄目だった」という著者が、自らのコンプレックスを赤裸々に告白。さらには、日本人が抱えてきた「英語コンプレックス」の歴史をひもといたのが、『英語コンプレックスの正体(講談社+α文庫)』(中島義道/講談社)だ。

 

あの漱石も…。英語コンプレックス=白人コンプレックス

「英語コンプレックス」の根は深い。言語の問題に留まらず、肉体コンプレックスとも密接だからだ。手脚が長くて肌の白い欧米人と比べ、対照的に感じられる日本人の「醜さ」。あの夏目漱石が、イギリスへ留学してノイローゼになったことは有名だが、ロンドンの街中で自らの姿が映ったのを見つけ、日記にこう綴っている。

「往来に向ふから背の低き妙なきたない奴が来たと思へば我姿の鏡にうつりしなり」

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 著者は、漱石のノイローゼの核心に肉体コンプレックスがあったと解く。漱石だけでなく、多くの日本人が西洋人(特に白人)の美しさと自分自身の貧弱さとの対比に気づき、ショックを受けた。そうした「証拠」は書籍だけでも枚挙に暇がない。また、1964年の東京オリンピックでも、すらりとした大勢の白人選手と比べ、「醜い」日本人を痛感したという。

 

英語コンプレックス=マナーコンプレックス

 肉体コンプレックスに加えて、もう一つ大きな「根」が、マナーコンプレックスだ。戦後、目覚ましいスピードで発展を遂げた日本。欧米に追いつけ追い越せと働き、同時に欧米の文化を吸収。そこには、ほぼ無条件に「理想的」とし、賛美する風潮があったという。かつての日本では、コーヒーやパンが「高級」とされ、レディーファーストや、ファーストネイムの文化まで取り入れようとした。

 まことに不思議なことに、わが国の首相はアメリカ大統領にファーストネイムで呼ばれたがる。(中略)「日本では成年に向かってファーストネイムを使う習慣はなく非常に違和感があるからやめてもらいたい」と言ってよいはずであろう。

 エッセイの名手は痛快に指摘する。今でこそ、パンもコーヒーも庶民の食生活の一部となり、レディーファーストとファーストネイムは浸透に至らなかったが、つい90年代頃まで、欧米の文化に従い、追随すべきといった本も次々と出版されていたのだ。

 

英語教師こそ堂々とジャパニーズ・イングリッシュを披露すべし

 英語は国際語だから、日本人がイギリス人やアメリカ人のように話すようになる必要はない(そう話したい人はもちろんそれぞれだからいいけれども)。なぜならそれは言ってみれば、関西人が東京の言葉を無理にしゃべろうとしているようなもの。だから、英語の先生もジャパニーズ・イングリッシュを堂々と披露すればいいと著者は説く。教師は東北弁を嘲笑する生徒を許さないのと同じ道理で、ジャパニーズ・イングリッシュを嘲笑させないのが務めだと。

 今も発音を気にする日本人は少なくない。だが、著者の言うように日本人は「日本人らしく」英語を話せばいいのだ。思えば、ノーベル賞を受賞した偉大な人々も、堂々と「日本人らしい」英語でスピーチしている。著者も、英語を話すことに苦手意識を持ちながら、アメリカの大学で発表するという大舞台に上がっている。

 こじれた英語コンプレックスが「自然治癒」したという著者の過程は、とても豊かで感慨深い。中でも大きな影響を受けたのは、外国から来た若者たちに英語で日本の文化を教えた経験という。自らの英語コンプレックスと向き合い、最も大切なのは「誠実さ」と振り返る。国際語として英語を使いこなしてきた先人から、最終的に行き着く先には一生懸命に伝えようとする姿の美しさが待っているのだと知ることは、さまざまな国の人と人とが繋がる希望となり、すべての英語学習者の励みになる。

文=松山ようこ