米アマゾンの新サービスは学研「科学」と「学習」と同じ! 毎月届く快感と知育玩具の強さ

社会

公開日:2017/2/10


 

 雑誌は定期購読するのが当たり前の時代があった。子供の頃、発売日になると近所の本屋さんが雑誌を届けに来てくれていたのを覚えている。

 

「少年チャンピオン」とは別の、特別な魅力

 新聞もそうだが、向こうから定期的にやってくるモノは強い。自然に家庭に入ってきて、いつの間にか届くのを待っている自分に気がついたりする。お小遣いを握りしめて買いに行く「少年チャンピオン」も楽しみだったけれど(私が子供の頃は、「少年ジャンプ」よりも「ドカベン」「ブラックジャック」「がきデカ」「恐怖新聞」「キューティーハニー」などが連載されていた「チャンピオン」が圧倒的に人気だったのだ)、家に毎月届く小学館の学習雑誌は、付録の魅力があったにせよ、特別な魅力があったのだ。何といっても、学校から帰ってきたら家にあるのだから、そりゃ嬉しい。

 

米国アマゾンが始めた新サービス「STEM Club」

 アマゾンがアメリカで始めた新サービス「STEM Club」のニュースを見て、まず思ったのが、「あ、これ、学研の『科学』と『学習』だ」ということ。「科学」と「学習」は、中々恐ろしい雑誌で、私が小学校低学年の頃は、学校で先生が売っていたのだ。あれは何だったんだろう。大きな袋に入った「科学」と「学習」が教壇に置かれ、申し込み用紙を渡すと、先生が直接手渡してくれた。

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 私が通っていた小学校は、国立大学の付属校だったこともあって比較的裕福な子供が多く、ほとんどの子供が「科学」と「学習」または、どちらかを購入していたようで、配布される日は、なんだかもう狂乱の渦のような情景だったような記憶がある。すぐに、申込者への宅配に移行したのだけど、サンタクロースのように袋を持って教室に入ってくる先生ほ姿を今でも覚えている。

 「STEM Club」と「科学」「学習」の最大の共通点は、毎月届くだけじゃなく、どちらも知育玩具だということ。「科学」も「学習」も、雑誌ではあるけれど、子供たちの興味は付録にあった。特に「科学」の、顕微鏡や日光写真、ラジオ、プランクトン飼育キット、スパイセットなどは、今で言う「知育玩具」そのままだ。

 

「知育玩具」のちょうど良さ

 この、子供の「オモチャが欲しいという欲望」と、親の「勉強になるならいいか、子供も喜んでるし」という気持ちの一致点として「知育玩具」のちょうど良さは、今も昔も変わらない。それが毎月届くのだ。なんて夢のような世界。「学習」は2009年、「科学」は2010年に休刊しているが、現在、「大人の科学マガジン」として、当時、「科学」の付録が大好きだった大人心を直撃している。「テルミン」だ「アナログシンセサイザー」だ「ミニエレキギター」だ「カエデドローン」だと、うっかり買ってしまう私たちは、子供の頃に大好きだった「知育玩具」の幻を追っている。その心の奥には「だって科学だから、ただのオモチャじゃないから」という気持ちだって残っているから、微妙に財布の紐が緩くなっていたり。

 つまり「知育玩具」は確実に売れるのだ。そこに同じジャンルの、違った製品が、まるでランダムのように毎月届くという魔法が重なる。「科学」と「学習」にしても、「STEM Club」にしても、同じジャンルだけれど、毎月違う、そしてどう違うかは届くまで分からないけれど、確実に何かが届く。毎月パーツが届いて、全部揃うと一つのものが出来上がる、という製品が、今一つつまらないのは、毎月形は違うけど、実は1つのものしか届いていないからだ。そんな積み重ねの楽しみは人生だけでお腹いっぱい。毎月のご褒美のように届くものは、それ単独で嬉しくなれるものでなければ、毎月届く意味がない。

 欲しいものを毎月買うのとも違うのだ。もっと、人任せの、でも自分好みのものが、自分の選択の外からやってきて欲しい。手元に届くから嬉しいというのは、そういうことだ。そこが、単にアマゾンで買い物するのと違うところ。だって、買い物だと、うっかり冷静になってしまって、「今月はやめとこう」とか思ってしまいかねない。それでは台無しなのだ。その意味で、毎月店に買いに行かなければならないディアゴスティーニよりも、毎月届くフェリシモの方がドキドキする。

 

アマゾンは恐ろしいほど「分かってる」

 インターネットが普及して、多くのものがいつでもどこでも素早く入手できるようになった。その先棒を担いでいたアマゾンが、「STEM Club」のようなサービスを始めるあたりが、分かってるというか恐ろしいというか巧妙と言うか。「いつでも」の魅力と、「この日に」の魅力は両立するということが分かっているのだろう。Kindleで電子書籍を予約すると、発売日の午前0時に、その本が自動的に端末にダウンロードされる嬉しさ。これが日本ではまだ一部の本でしか実現していないのは、アマゾンに比べ、日本の出版社が「本を手に入れる喜び」について理解していない証拠だ。「その日に届く」嬉しさは、デジタルとかアナログとかとは別のところにあるのに。

 

文=citrus 小物王 納富 廉邦