男たちの根源を揺るがす「ED」の歴史をひもとく『性的不能の文化史』。各時代の男たちの凄まじい悲喜劇!

社会

2017/2/18


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『性的不能の文化史 “男らしさ”を求めた男たちの悲喜劇』(山本規雄:訳/作品社)

 遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研という、普段は脇役として活躍するクセのある俳優たちが同じ屋根の下で共同生活をする姿を描くテレビ東京系の深夜ドラマ『バイプレイーヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』。本人役で出演しているため妙なリアリティがあり、演じる本人たちもそれを楽しんでいるような虚実入り交じった雰囲気からじわじわと人気を集めている。

 その第3話、6人が揃う食卓で「年を取ってもヤンチャしたい」という話題になったところ、それを聞いていた大杉が「俺たち、もう勃たないもんな」という衝撃のひと言を放った。すると寺島が「勃ちますよ、俺は!」と抗議。さらに「みんな勃たないのか? 漣さん勃たないの?」とまくし立てると、大杉は「気合いだ!って言えば勃つよ」と返答し、微妙な空気となっていた(もちろんフィクションであることは言うまでもありませんが)。

 この「勃つ/勃たない問題」、いつの世も男たちを大いに悩ませてきた大問題である。その歴史を丹念に追ったのが、もともと「人類がどのような避妊方法を試みてきたのか」について研究していたという歴史学者アンガス・マクラレンによる『性的不能の文化史 “男らしさ”を求めた男たちの悲喜劇』(山本規雄:訳/作品社)だ。

 性に奔放で「セックス=挿入」とされたギリシャ・ローマの時代から、欲望を自制すべきものであるとした中世のキリスト教会が支配した時代には結婚生活の問題となった 「勃つ/勃たない問題 」。やがて近代から現代へと移る間に科学が発達し、外科的な治療(この部分を男性が読むのは少々股間がツラいかもしれない……)が行われ、第二次世界大戦後に性的タブーから解放されるようになると精神医療が関わるようになって、現代ではそもそものメカニズムである「血流」を増やす薬が開発されるなどなど、数千年にわたる男たちの涙ぐましい努力が展開する。

 今でこそ「勃起」は性的興奮や刺激などによって 、血液が陰茎海綿体に流れ込むことによって 起こるという医学的な説明ができる。しかし精力の欠乏という意味で「インポテンツ」という言葉が使われるようになったのは17世紀になってからで、もっと昔は「勃たない」のは悪魔の仕業や呪い(自分を捨てた男に女が勃たなくなる呪いをかけたりしていた)だとされたり、19世紀になってもマスターベーションが勃たない原因だと指摘するインチキ医師がいたりなどと、現代からすると「?」のオンパレードなのだが、当時の人たちがとにかく必死だったことは本書を読むと痛いほどわかる。

 さらには男の子を墓の上に乗せるとインポになると信じられていたり、ひよこ豆やカブ、玉ねぎ、ニンニク、ニンジン、ルッコラ、コリアンダーがいいと聞いてはせっせと食べ、魔術や妖術を解くには若い種馬の口から水を飲むといいと言われたり、妊娠させる能力があることを証明するために人前で勃起して射精することを強要されたり、勃たないことを揶揄したり当て擦ってみたり、自分に原因があるのではなく女性のせいだと言い張ってみたりなど、思いつく限りのありとあらゆる「勃たない言い訳」が詰まっている。

 しかしいくらメカニズムがわかったところで勃たないことには変わりなく、薬を使って硬くなっても埋められないヤワな心にはスキマ風が吹くというなんともデリケートで悩ましい「勃つ/勃たない問題」。「インポテンツ」が「ED(Erectile Dysfunction=勃起不全)」という呼びやすい名前になったところで、男性自身の問題の根本はびくともしない。セックス離れやバーチャル化がさらに進むであろうこれから先、予想だにしない問題が勃発するやもしれない、というイチモ……じゃなくて一抹の不安がよぎるが、人類がこの先も生き残るためには正面から向き合っていかねばならない問題である、ということを教えてくれる畢生の大著であった。

文=成田全(ナリタタモツ)